駿府城はひつじさるやぐらのなかに徳川家康公歴史年表が展示してある。家康が駿府ですごしたのは、ひとじち時代の12年、5か国領時代のうちの5年、おおごしょ時代の10年のあわせて27年。
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徳川家康公歴史年表
〔駿府城ひつじさるやぐら展示資料〕
- 1542年、徳川家康、三河岡崎城主松平広忠の長男として生まれる。幼名は竹千代。
- 1547年、今川義元の人質として駿府に行く途中、戸田康光(とだやすみつ)に謀られ、尾張の織田信秀のもとへ送られる。
- 1549年、今川家に捕らわれとったた織田信広と人質交換で、竹千代は駿府に出発。
- 1555年、竹千代、元服。松平次郎三郎元信と改める。
- 1558年、竹千代、元康と改名。
- 1560年、今川義元、桶狭間で織田信長の奇襲を受け討死。
【人質時代の12年間を駿府で過ごす】
- 元康、今川家を見限り岡崎に入る。
- 1562年、元康、信長と同盟を結ぶ。
- 1563年、元康、名を家康と改める。
- 1566年、三河を統一。松平から徳川に改姓。
- 1569年、遠江を領有。
- 1570年、岡崎城から浜松城へ移る。
- 1572年、三方ケ原の合戦で武田信玄に大敗。
- 1575年、長篠・設楽原の合戦で武田氏を破る。
- 1579年、武田家への内通の疑いから、信長の命令で、長男信康を自害させる。
- 1581年、高天神城を武田氏から奪回。
- 1582年、天目山の合戦で武田氏を滅ぼし、三カ国(三河・遠江・駿河)を領有。
- 1584年、小牧・長久手の合戦で豊臣秀吉と対決。
- 1585年、駿府城の築城に着手。
- 1586年、浜松城から駿府城に移る。
- 1590年、秀吉に命じられ、小田原攻めに駿府から参戦。
【五カ国領時代のうち、5年間を駿府で過ごす】
- 関東移封を命じられ、江戸入城。
- 1600年、ウイリアム・アダムズとヤン・ヨーステンらが乗船したオランダ船リーフデ号漂着。
- 関ケ原の合戦で勝利する。
- 1603年、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く。
- 1605年、秀忠に将軍職を譲る。
- 1607年、駿府入城。ウイリアム・アダムズを外交顧問とする。
- 1608年、駿府城再建を指示。年内に天守・御殿等ほとんどの建物を上棟。
- 1609年、オランダ商館の平戸開設を許可。
- スペインのフィリピン総督ドン・ロドリゴと謁見。
- 1610年、家康公派遣の使節がメキシコ経由でスペインに行き、スペイン国王に図書を渡す。
- 1611年、スペイン国王使節と謁見し、機械時計を受け取る。
- オランダ国王使節と謁見。
- 1612年、駿府の金座と銀座を江戸へ移す。
- 1613年、イギリス国王使節と謁見。
- 1614年、大坂冬の陣。
- 1615年、大坂夏の陣。豊臣氏滅亡。
- 1616年、駿府城にて薨去。享年75。
【大御所時代の10年間を駿府で過ごす】- 1635年、駿府市街からの失火で、天守・御殿・相等ことごとく焼失。
- 1638年、駿府城再建始まる。御殿・櫓・門等は再建されたが、天守は再建されず。
〔2023年1月13日訪問〕