碧海郡(へっかいぐん)は隣松寺(りんしょうじ)。鴛鴨街道(おしかもかいどう)ぞいにおみつのはかがあって、わきの説明がきにつぎのとおりかいてある。
於美津(おみつ)のはか
- 於美津は鴛鴨城主4代掃部守(かもんのかみ)松平忠久のむすめで、光姫または於美津のかたって称した。
- 三河吉良東条城主松平甚太郎家忠のつまとなる。
- 1581年、家忠の死去によって、徳川家康公の四男福松丸をもって東条松平家を相続させられるにあたり当年2才の福松丸の養母となる。慈愛にみちたしつけにより、后年清洲城主としてかつやくした英邁(えいまい)な名君松平薩摩守忠吉の素地を形成した。
- 1610年2月よっか、駿府にて死去、遺命により菩提所隣松寺に遺骨をおさめ、この地を廟所とさだめられた。
- 尾張藩主徳川義直公も於美津の追善供養のため、名古屋市東区泉に貞祖院を建立した。
法名:喜秀院殿光誉貞祖大姉
〔2021年9月なのか訪問〕