大津は大津祭曳山展示館に大津城の説明がきが展示してあって、つぎのようにかいてある。
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大津城(曳山展示館)
- 戦国時代のおわり、豊臣秀吉は坂本城を廃し、この付近一帯に大津城をきずきました。
- 築城年代は1586年ごろとされ、初代城主は坂本城主であった浅野長吉(あさのながよし)(長政(ながまさ))、そのあと、増田長盛(ましたながもり)、新庄直頼(しんじょうなおより)をへて、1595年に京極高次(きょうごくたかつぐ)が就任しております。
- 高次のつまは浅井(あざい)3姉妹の次女「お初」でしたが、1600年の天下わけめの関ケ原の合戦においては、東軍についたため、西軍の大軍が大津城におしよせ、奮闘のすえ、関ケ原の合戦の当日、開城しております。高次は西軍の大軍をひきつけ、結果として関ケ原の勝敗をおおきく左右したとしてそのあと、加増のうえ小浜(おばま)藩主に転封(てんぽう)しております。
- 大津城は合戦の翌年1601年に廃城。徳川家康は、あらたに膳所(ぜぜ)の地に天下普請第1号として膳所城をきずいております。なお、大津城の天守は、落城せんかったという縁起をかついで彦根城にうつされております。
- この付近は、復元されたしろのなわばり図とてらしあわせると、そとぼりに位置します。このなわばり図から、大津城の規模はおおむね琵琶湖疏水、旧北国街道、旧東海道、そして通称寺町どおり(県道大津停車場線)とよばれる範囲であったことがわかります。
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しろがあったのは、1586年ごろから1601年までのおよそ15年間。大津城の天守が彦根城にうつされたっていう歴史もある。
〔2022年8月にじゅうよっか訪問〕