古地図
甚目寺村絵図(1841年)
甚目寺村絵図(1826年)
甚目寺観音の歴史
甚目寺観音の歴史
甚目寺観音は飛鳥時代(寺伝:597年)に建立(こんりゅう)されたってつたえられておりますけど、はっきりとした創建年はわかっておりません。しかし1990年と1992年におこなわれた本堂たてかえにともなう発掘調査では、遺物からすくなくとも7世紀后半には、堂宇(どうう)が存在しとったことがかくにんされました。
創建より甚目(はだめ)氏の私寺として存在した甚目寺観音は、鎌倉時代になると両者の関係がうすれ、地縁によって維持されるようになりました。またこの時代一遍上人(いっぺんしょうにん)のえまきもの『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』(国宝)をつうじ、尾張の霊場としてほのなは全国にしられたようです。
戦国時代末期には、歴代の尾張の支配者から200貫の寺領をうけ、ほいで1595年清須城主となった福島正則(ふくしままさのり)(あま市出身)は、1597年に仁王像を奉納しております。江戸時代、寺領は豊臣時代の300石が維持され、尾張三十三所観音(おわりさんじゅうさんしょかんのん)と尾張四観音(おわりしかんのん)のひとつとしておおくの参詣者が甚目寺をおとずれました。
現在でも節分会(せつぶんえ)においては、恵方のとしともなや境内をうめつくすひとびとでにぎわいます。
◇ ◇
訪問び=2018年11月12日