新川橋にしづめの津島街道みちしるべ

2022.12.1 (46) 新川橋にしづめ - 津島街道みちしるべ 1600-1200

美濃路新川橋にしづめみなみがわに津島街道みちしるべがたっとって、説明がきにつぎのようにかいてある。

美濃路の歴史

  • 美濃路は江戸時代、東海道宮の宿から名古屋・きよす・稲葉・萩原・起・墨俣・大垣を経て中山道垂井の宿に至る街道で、東海道からかれて美濃へ向かう街道のため美濃路と呼ばれた。
  • 平安時代、都から東国への道は、東山道東海道があり、この二道を美濃~尾張で繋ぐ道が美濃路の原型となった。鎌倉時代には、京と鎌倉を結ぶ京鎌倉往還(鎌倉街道ともいう)が最も重要な街道となった。美濃路東海道に、重なり離れ残されておる。
    2022.12.1 (47) 新川橋にしづめ - 「美濃路の歴史」 1810-1020
  • 江戸時代の美濃路織田信長・信雄の頃から整備されたもので、関ケ原の戦いの后、京・大坂と江戸を結ぶ重要な官道として、五街道と同じく道中奉行の支配下に置かれた。
  • 美濃路桶狭間の戦いで信長、小田原征伐で秀吉、関ケ原の戦いで家康の凱旋道となり、吉例街道と呼ばれた。
  • きよすしを貫く美濃路には、昔ながらの町並みや、ものづくりの店が残されており、この地方独特の屋根神様、問屋記念館、山車蔵、今川義元塚、きよすじゅく本陣跡、信長の菩提寺総見院など、多くの歴史や文化が溢れておる。
  • ここ新川橋西詰には、かって高札場があった。また、美濃路から津島への分岐点で、きよす五条橋の石製欄干親柱を利用したといわれる道標も置かれておった。
  • 土器野新田絵図(1870年)
    2022.12.1 (48) 「美濃路の歴史」 - 土器野新田えず 1530-1260

〔2022年12月ついたち訪問〕