三島大社の由緒がき

三島大社本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門

  • 三島大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(1192~1333)初期には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。
  • 一遍聖絵(いっぺんひじりえ)の社頭と現在のそれとではかなり異なり、焼失記録をみると、1268年と1296年に焼け、また1744年と1854年地震で倒壊しとる。今の社殿は1860年から1869年にかけて再建されたものである。
    2023.7.17 (53) 三島大社 - 神殿 1970-1490
  • 本殿は流れ造(棟より前方の屋根が、后方の屋根よりも長く反っとる建築様式)で切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟には千木、鰹木をつけとる。拝殿は入母屋造(上部を切妻屋根とし、下部が四すみにをおろしとる屋根をもった建築様式)で、前面には3間の向拝をつけ、正面に千鳥破風軒唐破風(のきからはふ)がつく。両殿の間には軒下に納まるように相の間(あいのま)がつくられとる。この建築の様式は権現造といわれる。全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なものである。
  • 彫刻は伊豆国名工小沢希道(おざわきどう)、駿河国名工后藤芳治良(ごとうよしじろう)がそれぞれ門人ととともに技を競いあって完成した傑作である。
    2023.7.17 (54) 三島大社 - 由緒がき 2430-1820

三島市教育委員会

〔2023年7月17日訪問〕


【伊豆箱根鉄道と三島のたび】