中山道加納宿は加納天満宮の由緒がきに、つぎのようにかいてある。
加納天満宮
- ご鎮座
1445年、斎藤利永が加納の東南沓井郷に沓井城(旧加納城)をきずき、ほの守護神として天満宮を勧請した。記録によれば創始はさらにふるく、ほれより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀されとったという。- ほのあと、城主斎藤利政(斎藤道三)が稲葉山城にうつり沓井城は廃城となったが、天満宮は住民たちによってあつく奉斎されとった。
- 1600年関ケ原戦后、徳川家康は凱旋のおり、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築した。ほのさいに天満宮が城郭内にはいったので、あたらしい加納城鎮護のかみとして1601年これを広江川(清水川)をせにした閑静な現在地に遷座したてまつった。これが加納天満宮の起源である。
- 加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住人たちの信仰はあつく、現代にうけつがれとる。
〔2022年5月17日訪問〕