亀姫侍女のいしぶみ

2022.5.17 (44) 加納北広江町 - 亀姫侍女のいしぶみ 1460-1000

おすし街道を岐阜から加納にむかってみなみにあるいていって、高々架の東海道線をこえたみぎ、みちのわきに亀姫侍女のいしぶみ。おもてめんに「亀姫侍女|十二相祠堂阯(じゅうにそうしどうあと)」、うらめんに「1995年9月吉日|山田昭二建之」ってかいてある。亀姫は徳川家康の長女にして、初代加納城主奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の正室。ほの亀姫にとがめられて処刑された侍女を、あとになってまつったのが十二相祠堂とのこと。

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(2020年3月25日BYチャラヒ)

あ亀姫侍女十二相祠堂阯はその姫のエピソードの一つです。
我がまま娘で、自分の身の回りをしてくれる侍女を咎めて処刑してしまい、その后に祀ったのが十二相祠堂跡です。
ここで何に咎められた?のかと言う疑問が出ますが、全く不明だそうです。
加納藩田辺見聞録には、1607年、加納様( 亀姫)の侍女、十二人一時に咎めに逢い、1618年、この地に設社とだけ記載されとるそうです。
亀姫は生涯、信昌に一人も側室を置かせず、自身で4人の男子(家昌・家治・忠政・忠明)と1女(大久保忠常室)を儲けました。
その后宇都宮に移り、宇都宮城釣天井事件の后再び加納に戻り、1625年、加納において66才でなくなりました。

〔2022年5月17日訪問〕