熱田さん境内摂社(けいだいせっしゃ)のひとつ上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)。そもそも境外摂社として、東海道から美濃路が分岐するとこにあったっていう。
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熱田区まちかど発見!
源太夫社(げんだゆうしゃ)(上知我麻神社(かみちかまじんじゃ))と東海道
尾張名所図会にもえがかれとる江戸時代の「上知我麻神社」。熱田神宮の摂社で、江戸時代には「源太夫社」ともよばれ「知恵の文殊(もんじゅ)」さまとしてもしられております。江戸時代のここ「源太夫社」まえは、東海道と美濃路の分岐点ともなり、往来するおおくのひとびとでにぎわっておりました。
・きたへいくと「熱田神宮、名古屋城下」
・みなみへいくと「七里のわたし(桑名)」へいたります。
「源太夫社」は、戦后の復興事業のため、1949年に熱田神宮境内に遷座され、ほのあと、現在の地には、べつの地にあった「ほうろく地蔵」がまつられました。ばしょをかえながらも当時からのこる「みちしるべ」が、ありしひのにぎわいをつたえております。熱田区役所(でんわ:052-683-9424)
〔2021年7月22日訪問〕