葭池暗渠 - 明治用水歴史勉強会会報

人造石発明者服部長七最后の遺産 - 明治用水旧堰堤
明治用水歴史勉強会会報2号~

2012年9月
明治用水歴史勉強会編集
明治用水土地改良区発行

(3) 葭池暗渠(よしいけあんきょ)
豊田市(とよだし)鴛鴨町(おしかもちょう)
  • 矢作川から取水し、水路を4キロほどさがったところにふかいたにがある。ここは明治用水本流と東名高速道路が交差し、いまでは高速道路の高架橋がいっきにわたっとる。
  • 矢作川西岸の洪積台地へみずをながすにはこのたにをこえにゃいかん。明治用水開削工事のなかでは、いちばんの難所で、ゆいつのもりつちかしょである。
  • 明治用水開削者である伊予田与八郎があらわした「明治用水発起成功略記」から当時のようすを引用する。
    「鴛鴨村地内永覚新郷の境に至り字大岨と唱える地、350間(630メートル)の間谷田にして該田底深さ2、3間(4~6メートル)の泥渟(でいてい)にして植え付け耕耘(こううん)とも古より泥底に丸木を架して為す所なり。右の長線に敷30間(54メートル)高2丈余(6メートル)上幅10間(18メートル)に築き上げ、而して(しかして)是に底幅4間(7.2メートル)の水路を造り・・・」
  • このようなところであるので明治用水が通水后いくどか決壊し、通水に支障をきたすばかりでなく、このつつみによって遮断された水田にも被害が生じた。
  • ほこでくみあいでは、1899年11月、堅牢な暗渠(あんきょ)に改築することにし、評判のたかかった服部長七に工事を発注した。この契約は「人造石樋管工事請負契約証書」で服部長七とかわした。
  • 現存する暗渠はながさ39.5メートル、たかさ2.5メートル、はば3.3メートルで、全面はりいし構造の人造石で、半円のみごとなアーチ状を呈し、100年あまりの歳月をへてもびくともしとらん。
    2021.9.1 明治用水資料 (5-1) 旧堰堤 - 葭池樋門 1860-1060
  • 下流がわ暗渠いりぐちには銘板があり、「葭池樋門|1900年3月|服部長七」ってきざまれとる。
  • 家下川(やしたがわ)の流域も都市化され、この暗渠下流は愛知県のてで改修、上流は豊田市のてで改修され、この暗渠が流水を阻害しとる。この貴重な明治の土木遺産がすがたをけすのも時間の問題でざんねんなことだ。
    2021.9.1 明治用水資料 (5) 旧堰堤 1430-2230

2021年9月ついたち、水のかんきょう学習館を訪問。明治用水土地改良区OBの田中さん、館員の織田さんから葭池樋門(よしいけひもん)についての説明をうけるなかで、この資料もいただいた。