かにえはかにえがわ城新橋(じょうしんばし)の東北に蟹江城(かにえじょう)あとがあって、説明がきにつぎのようにかいてある。
地名のいわれ(蟹江町城)
- 蟹江の地名のおこりについては定かではないが、この近くの河口部から海岸付近に、蟹がたくさん住んどったことから、その名がついたといわれとる。
- 鎌倉時代より海東郡富吉荘に編入され、その一部であったが、江戸時代初期(1600年代)に富吉荘からわかれ、蟹江本町村とあらためられた。
- 戦国時代(1500年代)には蟹江城が築かれとったが、1584年の蟹江合戦により落城し、その后は廃絶となった
- 江戸時代(1600年代)に入り、蟹江川を中心に蟹江港がおかれ、商業交易都市として発展し、定期市の六斎市も開かれ、賑わいをみせた。『名句小景』の「蟹江古城」の描写は、江戸時代の文献にある「城址、今は畑となる」の記述を裏付けるものとして興味深い。
江戸時代の蟹江本町村戸数及び人口
(蟹江町史参照)年 戸数 人口 1671年 355戸 1,587人 1792年 724戸 2,920人
ほいから蟹江城あとからちょこっとにしにほんまるいどあとがあって、説明がきにつぎのようにかいてある。
蟹江城本丸井戸跡
蟹江城の本丸井戸跡だと伝えられ、江戸時代の蟹江本町村絵図にも、この位置に「古井」 と記されとる。
蟹江城は、1585年の大地震で大破した后、 跡形もなく消えてしまったが、この本丸井戸跡はここに確かに城があったことを物語っとる。
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