2019年5月ようか、伊勢参宮街道をあるいとるとこで、白子代官所あとを発見した。
〔史跡〕白子代官所あと
江戸時代のはじめ徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が紀州藩主に任ぜられると、伊勢にもおよそ18万石の領地があたえられた。これを松坂、田丸、白子の奉行が分担支配した。
1634年に郡奉行所(こおりぶぎょうしょ)がこの地にもうけられ、のち代官所とあらためられた。白子代官は旧三重郡(みえぐん)、河曲郡(かわわぐん)、奄芸郡(あんきぐん)、一志郡(いちしぐん)の各郡にわたり、およそ5万石を支配した。代官所には、代官のしたに手代元締(てだいもとじめ)ひとり、手代(てだい)6人がおった。
代官所のきたがわに御殿(藩主の別邸)があって、みなみへすこしはなれて物見役所(ものみやくしょ)、目付役所(めつけやくしょ)があった。
江戸時代、白子は重要なみなととして、また宿場町としてさかえた。型紙の行商人や回船業者は紀州侯の威光を背景にかつやくできたけど、これも代官所が白子にあったこととふかいつながりがあった。
なお、図にしるされとる「御殿、市場、稲荷、北新町」などの地名は、自治会名としていまものこっとる。
1992年1月
鈴鹿市教育委員会
(さんこう)
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- 1889年の郡区:三重県