万場大橋にしづめのみなみ、堤防道路のそとがわに秋葉社があって、ほのわきに万場のわたしの説明がきと万場宿の説明がきがある。
佐屋街道万場の渡し(まんばのわたし)
〔中川まちなか博物館〕
- 佐屋街道は、熱田から岩塚、万場、神守佐屋を経て桑名へ渡る陸路6里、海路3里の行程で、江戸時代の東海道の脇街道として大変賑わった。熱田(宮)から海路桑名へ渡る「七里の渡し」が一般的だったが、風雨による欠航や船酔いを避け、陸路を望む人たちも多かった。
- 尾張名所図会の川舟には多くの人、荷物や馬までが乗っており、昼夜を分かたず渡船することができたが、渇水の時期には歩いて川越えができても許されておらんかった。舟賃は1人1文、中水のとき3文、大水のとき8文、荷物も5文、10文と区分されておった。(「尾州領郷帳」他参照)
- 万場宿には本陣と問屋とを兼ねた家もあって、やや宿場としての体裁をたもっておったが、1ヶ月のうち上15日は万場宿でつとめ、下15日は岩塚宿でつとめる慣行で、万場の渡しは万場宿が管理しておった。渡しの痕跡として秋葉社の南に常夜灯が残っておる。
2014年3月|名古屋市
万場宿跡
〔2022年9月ついたち訪問〕