下呂温泉ゆのまちどおりに飛騨街道湯之島宿のこうさつばがあって、説明がきにつぎのとおりかいてある。
湯之島のこうさつば
江戸時代、ここ下呂郷湯之島から、富山、高山、金山、関、中山道太田宿をむすぶ飛騨街道と中山道中津川宿にいたる南北街道がわかれておりました。
このように交通の要所のため、湯ノ島(下呂宿)には本陣や、にだのとりつぎのための馬繋場(ばけいじょう)がおかれにぎわいをみせておりました。
江戸時代、幕府はご禁制の条目や法令を、むらやまちの要所にもうけられたこうさつばにこうさつとして掲示しましたが、こうさつのかずは地域によってことなり、内容はキリシタンこうさつ、ひつけものこうさつ、徒党こうさつなどがありました。
湯之島には、伝馬宿があったこのばしょにこうさつばをもうけ、にだこうさつや、年間3万人をこす湯治客にかんするおふれも掲示されたものとおもわれます。
この伝馬宿の「問屋役」であった武川家は現在も「とんや」の屋号を継承しております。
2009年7月はつか
湯之島区下呂温泉かぶしきがいしゃ
〔2022年6月21日訪問〕