「明治用水頭首工」説明がき

2021.9.20 (11) 水源公園 - 「明治用水頭首工」 2000-1480

矢作川(やはぎがわ)は水源橋のちょっときた、西岸にある小公園の付近に、水源公園を愛する会のたてた「明治用水頭首工」説明がきのかんばんがあって、つぎのようにかいてある。ちなみに東岸にも、山室を愛する会のたてた同一文面のもんがある。

明治用水頭首工

  • あんじょう周辺は、かつて「あんじょうがはら(安城ケ原)」ってよばれる原野で、みずの便がわるく、農地にはふむきでした。
  • 幕末に都築弥厚(つづきやこう)によって用水が計画されましたけど、領主や農民にはんたいされ、実現されませんでした。明治にはいって、岡本兵松(おかもとひょうまつ)と伊予田与八郎(いよだよはちろう)の用水計画が愛知県にいくども申請され、ようやく1878年にみとめられました。
  • 工事は1879年1月に開始され、翌1880年5月には、本流、中井筋(なかいすじ)、東井筋(ひがしいすじ)が完成し、6月には供用が開始されました。翌1881年には西井筋(にしいすじ)も完成し、明治用水ってなづけられました。
  • あんじょうは用水の利用により水田、はたさく、果樹、養鶏、畜産って多角農業がとりいれられ、大正末期には「にほんのデンマークってよばれるようになりました。
  • さいしょの頭首工は、こっからおよそ1,500メートル上流にこいしと粗朶(そだ)*1 で沈床(ちんしょう)工事をし、ほのうえにわりいしをつみあげ、まるたのくいをうちこんでつくられました。
  • 2代めの旧頭首工は、人造石(たたき)発明者の服部長七(はっとりちょうひち)に依頼し、堅固な横断堰堤(えんてい)が1901年につくられました。堰堤は中央部にいかだとおし、ほの左右にそれぞれ放水門2門と排砂門5門をそなえたものでした。また、1906年にはふなとおし、1917年には魚道が増築されました。対岸に一部現存しております。
  • この頭首工は、人造石による大規模な堰堤の現存するゆいつの例として2007年「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。
  • 現在の新頭首工は、重力式コンクリート1958年に完成し、農業用水、工業用水、水道用水をあんじょう、岡崎、豊田、知立刈谷、高浜、碧南、西尾の8市ほかに供給しております。
    2021.9.20 (11-1) 水源公園 - 「明治用水頭首工」 2030-1480

2012年9月吉日
水源公園を愛する会

〔2021年9月はつか訪問〕


*1:粗朶とは、自然のやまに繁殖しとる雑木のちいさいもんやえだのことで、はをおとしてつかう。