隣松寺鴛鴨街道ぞいの榊原清長、長政の墓所

2021.9.7 (32) 隣松寺 - 榊原清長、長政の墓所説明がき 1980-1480

碧海郡(へっかいぐん)は隣松寺(りんしょうじ)。鴛鴨街道(おしかもかいどう)ぞいに榊原清長(さかきばらきよなが)、長政(ながまさ)の墓所があって、一角にたっとる説明がきにこうかいてある。

榊原清長、長政の墓所

  • 榊原清長、長政は、幼少より徳川家康につかえ、四天王のなをほしいままにした館林(たてばやし)城主榊原康政の祖父とちちにあたる。
  • 榊原氏は、もともと仁木氏のながれだったけど伊勢のくに一志郡(いちしぐん)榊原村に住し、榊原姓を称した。清長の代に三河にうつり、上野(上郷町)下村(しもむら)にしろをきずき、松平親忠(ちかただ)の臣となり、つかえた。
  • 1493年、井田野(いだの/岡崎市)のたたかいでは、12才の長政がちちとともにかつやくしたことが記録にのこっとる。また長政のつまは、鴛鴨城主松平親康のむすめであるが、清長、長政ともに生年は不詳。
  • 清長は1545年10月ようか、死去(一説に1532年9月とおかともいう)、法名は一公羽金忠大居士。長政は1562年10月19日、死去(一説に9月ようかともいう)、法名は賢孝道誓大居士。ほのつまともども隣松寺を菩提所とした。

豊田市教育委員会

〔2021年9月なのか訪問〕