安祥城址公園の一角にあんじょう城のうきぼりがある。
きたのおかがほんまる。みなみのおかがにのまる。ほんまるのにしに安祥公民館とあんじょうし歴史博物館。にのまるのにしに風土記の舞台や笙の塔。
ほんまる。
安祥公民館とあんじょうし歴史博物館。
にのまると風土記の舞台や笙の塔。
安祥城址公園[うきじろのその]
当時の安祥城は、文献の一節に「あたかもうきじろのかんがあった」としるされております。いまでは、水田のなかにあるふたつのみどりのおかが、大乗寺(ほんまるあと)と八幡社(にのまるあと)をいだき、ひっそりたたずんでおります。それらは、当時のすがたとかさなりひきつがれてきたうきじろのふうけいです。
このことから、当公園の基本テーマを[うきじろのその]とさだめました。いけやながれを公園にめぐらせ、ふたつのみどりのおかをいっそうきわだたせ、うきじろのそのを表現しました。また、みどりのおかのたにま空間は、うきじろをきわだたせており、この「はざま」空間を、景観の基本デザインとして、「風土記の舞台(ふどきのぶたい)」、「笙の塔(しょうのとう)」の施設を配置しました。
① 本多忠高碑、古戦場
② 善恵坊の碑(ぜんえぼうのひ)
③ 切岸(きりぎし)
④ 姫塚(ひめつか)
⑤ 風呂井(ふろい)
あんじょう城あと(安祥城址)
文明年間(1469年から1487年)に、岩津城(おかざきし)の松平信光がうばいとり、この親忠(ちかただ)(西忠(さいちゅう))を城主としました。以后、清康(徳川家康の祖父)が岡崎にうつるまで、4代にわたりこのしろに松平の総領家(そうりょうけ)がありました。
1540年から1549年のあんじょう合戦(あんじょう城争奪戦)では、織田信秀(信長のちち)と松平広忠(家康のちち)が、3度にわたりこのしろをうばいあっております。
現在にのこるあんじょう城は、1584年の小牧長久手のたたかいにそなえ、徳川勢による改修がくわえられたすがたとかんがえられております。
〔2020年5月いつか訪問〕
(さんこう)
- う~ん…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年5月9日0:55
- う~ん、1400年代、1500年代のあんじょう城と岡崎城の歴史、すっごいわかりにくい。きちんと整理されたもんがないようなきもする。
- 大乗寺(愛知県あんじょうし)安祥城あと:おてらのふうけいと陶芸|2018年06月07日
- 徳川の前身、松平八代の歴史|家康公と岡崎城の歴史|特集|岡崎公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト
- 三代信光
- 応仁・文明の乱中には安城・岡崎の2城をも攻略した。
- 四代親忠
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