吉田橋

2021.4.8 (83) 吉田城 - 「吉田橋」 1900-1500

吉田城は黒鉄櫓(くろがねやぐら)のいりぐちをはいってすぐのとこに、吉田橋の説明がきがある。えは、吉田城の対岸から吉田橋をみたとこのえで、はしをわたったひだりがわに吉田城がみえる。ほれと、えのうえには、作家宮城谷昌光さんの小説の一部がつぎのとおり紹介されとる。

吉田橋

  • ・・・とよがわの下流にのぞむ今橋吉田ともよばれる。
  • ・・・鎌倉時代のなかばにとよがわの河口ちかくにはしがかけられたので、今橋、とよばれつづけた地を、吉田、とよびかえた牧野氏は、自家の威勢とその地の私有を強調したかったにちがいなく、そとからそれをみとめるものは吉田とよび、みとめないものは今橋とよんだ。
    というのがこの時期である。
  • ---今橋の牧野のうしろには、今川がいる。
    すなわち松平清康が今橋城をせめるということは、今川にたたかいをいどむということである。今川氏は足利氏の親戚といってよいから、
  • ・・・松平清康のたたかいかたは電撃のようであるときく、西三河の過半を制したばかりの清康が、今川氏の傘下というべき東三河にふみこむのは、確実な勝算があってのこと、とみるべきである。
  • たとえば、きたるべきたたかいで松平清康がかつとしよう。しかし、問題はそれからである。東三河の奪回にむけて今川氏が大軍を擁してうごけば、清康についたものはことごとくうたれるかもしれない。ほんとうの勝負はそこにある。
    2021.4.8 (83-1) 吉田城 - 「吉田橋」 1260-950

直木賞作家宮城谷昌光
新潮社「風は山河より」第1巻今橋城より
松平清康徳川家康の祖父)

〔2021年4月ようか訪問〕