2020-10-04から1日間の記事一覧

桶狭間古戦場にある『香川景樹のうた』のいしぶみ

あと問へば昔のときのこゑたてて松に答ふる風のかなしさ景樹 豊明は中京競馬場駅からすぐみなみに桶狭間古戦場があるだけど、ほの東北かどに『香川景樹のうた』のいしぶみがある。 あと問へば昔のときのこゑたてて松に答ふる風のかなしさ 景樹 桂園派の巨匠…

『桶狭間古戦場』のかんばん

豊明の桶狭間古戦場に『桶狭間古戦場』のかんばんがある。 ~桶狭間のたたかい~ 戦国大名は戦乱のなかにあってたがいに全国統一をめざし、しのぎをけずっとった。相模の北条、越后の上杉、甲斐の武田、駿河、遠江、三河の今川、尾張の織田などなどが勢力を…

桶狭間古戦場あとのいしぶみと桶狭弔古碑

豊明の桶狭間古戦場みなみがわに、きたむきに桶狭間古戦場あとのいしぶみと桶狭弔古碑がたっとる。 桶狭間古戦場あとのいしぶみ にしがわにあるのが桶狭間古戦場あとのいしぶみで、きためんに「桶狭間古戦場趾|愛知県」、にしめんはなし、ひがしめんに「従…

今川義元のはか

豊明の桶狭間古戦場に今川義元のはかがある。はかいしに「今川治部大輔義元墓」の文字。 今川治部大輔義元(いまがわじぶだゆうよしもと)のはか 駿河、遠江、三河の国主、今川義元は西上の途次、1560年5月19日に織田信長のきしゅうにあい、ここでたおれた。…

桶狭間古戦場の『七石表』

豊明の桶狭間古戦場に『七石表』がある。 七石表(1号碑) 桶狭間のたたかいで今川義元の戦死したばしょをしめす、もっともふるいものである。 1771年、尾張藩士人見弥右衛門黍(あつし)、赤林孫七郎信之によりたてられた。 きためん「今川上総介義元戦死所…

『桶狭間古戦場』の説明がき

豊明は中京競馬場駅からすぐみなみに桶狭間古戦場があるだけど、ほの西北かどに『古戦場』の説明がきがあって、つぎのようにかいてある。 古戦場 この地は、1560年5月19日、今川義元が織田信長におそわれ戦死したところとつたえられ、田楽狭間、あるいは舘狭…