桶狭間のたたかい布陣図
高根山の山頂に桶狭間のたたかい布陣図。織田軍は、佐々千秋隊と本隊のふたてにわかれて、桶狭間に陣どっとった今川軍を攻撃。
高根山の説明がき
高根山
この地は、1560年桶狭間の合戦のとき、今川軍の戦陣(※たぶん先陣のまちがい)として松井宗信(まついむねのぶ)ひきいるおよそ1,000名が着陣したところで、このあたりでいちばんたかく(標高50メートル)、鳴海城と織田軍の善照寺砦(ぜんしょうじとりで)や中島砦(なかしまとりで)が一望できました。また、織田軍の別動隊で佐々政次(さっさまさつぐ)、千秋季忠(せんしゅうすえただ)がひきいる軍と激戦してこれをうちやぶりました。
ほのかん、信長ひきいる本隊およそ2,000の軍は、中島砦から北方にみえる丘陵のはざまをぬけてひそかに今川義元本隊が陣どる、桶狭間武路釜ケ谷(かまがたに)へとむかっていきました。なお、南方のやまつづきで幕山、巻山には、今川軍の井伊直盛(いいなおもり)ひきいるおよそ1,500が陣どっておりました。
有松桶狭間観光振興協議会
ここで今川軍の先遣隊と織田軍の別動隊がたたかっとっただ。
〔2020年10月はつか訪問〕