岡崎城の内郭の地図

『岡崎城の各曲輪の概要』 640-370
岡崎城跡整備基本計画(2016年度改訂版)
第2章 岡崎城跡の概要
(2) 岡崎城の各曲輪の概要
① 内郭部分
岡崎城の内郭は、前述のとおり1452年から1455年の西郷氏による築城后、1531年入城の松平清康から前本多家3代本多忠利*1の時代にかけて整備、拡張されたとかんがえられる。
浄瑠璃曲輪から稗田曲輪にかけてのきたがわにのびる最大はば60メートルにもなる大林寺郭堀など、各曲輪周囲のほりによって外郭と画されっとったが、現在ではうめたてられとる。1875年には東海道の屈曲を解消するため、備前曲輪、三の丸の中央をぬけて坂谷曲輪、白山曲輪をとおり板屋町へでる往還道路が貫通した。この東西に貫通する往還道路にかえて1933年に国道1号が開通しとる。これにより内郭は国道1号で南北に分断され、内郭きたがわは現在市街地となっとる。内郭みなみがわは岡崎公園として公園施設が整備されており、1962年に岡崎市史跡指定地になっとる。
『岡崎城内郭の曲輪などの名称』 630-680
図2-11 岡崎城内郭の曲輪などの名称
(「岡崎城絵図」后本多家時代・江戸時代后期・和田家文書に加筆/岡崎市美術博物館蔵)
1781年

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堀江登志実さん『岡崎城郭図』 960-715
図2-13 岡崎城郭図(作図:堀江登志実/協力者:高瀬忠三)
堀江登志実さん『岡崎城郭図』(山口遥介さん加筆) 960-715

(さんこう)

*1:1623~1645