高岡は新馬場神明宮(しまんばしんめいぐう)のきたに村上忠順遺跡地のいしぶみがあって、つぎのようにかいてある。
【正面】
村上忠順遺跡地
豊田市◇ ◇
【みぎめん】
村上忠順(むらかみただまさ)遺跡地
医学者国学者で歌人、幼名賢次のち忠順を称して承卿、蓬廬(蓬庵)と号す。1812年、ちち忠幹(ただもと)、はは美志の二男にうまる。1853年、刈谷藩主土井侯の侍医となる。忠順は医学書のほか、古事記標註、散木弃歌集標註など380巻をあらわし、生涯の蔵書は3万巻におよぶ。また、勤王の思想あつく天誅組の中心人物松本奎堂(まつもとけいどう)とも親交し、1868年、大総督有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)にむかえられ、江戸へ下向す。1884年、73才この地で永眠す。
〔2021年3月25日訪問〕