村上忠順遺跡地のいしぶみ

高岡は新馬場神明宮(しまんばしんめいぐう)のきたに村上忠順遺跡地のいしぶみがあって、つぎのようにかいてある。

【正面】

村上忠順遺跡地
豊田市

2021.3.25 (35) 新馬場 - 村上忠順遺跡地のいしぶみ 1600-1200

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【みぎめん】

村上忠順(むらかみただまさ)遺跡地

医学者国学者歌人、幼名賢次のち忠順を称して承卿、蓬廬(蓬庵)と号す。1812年、ちち忠幹(ただもと)、はは美志の二男にうまる。1853年、刈谷藩主土井侯の侍医となる。忠順は医学書のほか、古事記標註、散木弃歌集標註など380巻をあらわし、生涯の蔵書は3万巻におよぶ。また、勤王の思想あつく天誅組の中心人物松本奎堂(まつもとけいどう)とも親交し、1868年、大総督有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)にむかえられ、江戸へ下向す。1884年、73才この地で永眠す。

2021.3.25 (36) 新馬場 - 村上忠順遺跡地のいしぶみ 1500-2000

〔2021年3月25日訪問〕