みつるぎ八幡宮

2022.7.17 (5) みつるぎ八幡宮 2000-1500

西尾城ほんまるにたつみつるぎ八幡宮

みつるぎ八幡宮

  • 社伝によれば、文徳天皇(もんとくてんのう/827年~858年)の皇子八条院宮が、渥美郡伊川津(あつみぐんいかわづ)にご住居されたおり、ほのおやしきの東西に八幡社天王社(いまの伊文神社(いぶんじんじゃ))をおまつりした。ゆえありて皇子が当地にご転住のせつ、両社もご遷座され、八幡社は松山(いまの山下町東八幡山(やましたちょうひがしはちまんやま))にまつられた。
  • 承久の乱で戦功をあげた足利義氏(あしかがよしうじ)が三河国守護に任じられたとき、当地に西条城を築城するにあたり、城内鎮護のかみとして松山よりほんまるにうつされた。源家相伝の宝剣髭切丸が奉納されたことからみつるぎ八幡宮と称されるようになったという。
  • 1678年、西尾城主土井利長(どいとしなが)により社殿が再建され、以后たびたびの修築がかさねられた。本殿が一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、ひわだぶき拝殿が入母屋造(いりもやづくり)、ひわだぶきである。歴代城主の崇敬があつく、拝殿まえには土井氏、三浦氏、大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)が寄進した灯篭がたちならんどる。
  • 本殿、拝殿、わたりでんといしどうろう、陶製こまいぬは西尾市の指定文化財。1989年、1990年に解体修理がおこなわれ、創建当時のすがたに復元された。
    2022.7.17 (6) みつるぎ八幡宮 - 説明がき 2730-1530

2012年12月

西尾市観光協会

2022.7.17 (7) みつるぎ八幡宮とほんまるうしとらやぐら 2250-1490

ななめうしろに西尾城ほんまるうしとらやぐら。

〔2022年7月17日訪問〕