岡崎は菅生川北岸の満性寺(まんしょうじ)境内に近藤重三郎くんのいしぶみがある。近藤重三郎は岡崎電灯の事業に参画して岩津発電所を建設したひとだ。
うらめんにつぎのとおり業績がかいてあるみたいなだけど、漢文のため意味がとれんのがかなしい。
近藤君諱重三郎本姓中村氏三河人考諱慶蔵其長子也|弱冠出襲近藤氏資性沈毅果断深為郷当所推重尽力于公事有年曽注意于電気事業覚其応用水力之最有益蹶然与同志ニ三相謀1896年起発電所於額田郡岩津村大字日影当時類例未多人◆危焉然而君有確信也|計画果的中成績良好|送電距離◆而成功者在我国蓋以此為嚆矢矣|於是乎前日危之者讃歎不措名声忽播四方各地起斯業者◆資範焉其為功不亦偉乎又常憂国事挺身投政党操守牢固終始一貫尽瘁不知倦徳望年隆屢◆県会議員其他各種公職功績不尠而前途尚荷望不幸獲病遂不起時1910年3月6日也|享年50有9同人痛悼哀慕◆資建碑以期不刊係以銘日
雄姿颯爽|膽気如斗|呑吐如意|巻舒在手|惟信惟義|千載求友
利沢施人|名声不朽|段嶺之陽|矧川之右|月白水冽|竜吟虎吼
1914年3月
拙庵居士福岡精一撰
塔南処士市川進書
酒井耕石刻
〔2020年6月みっか訪問〕
(さんこう)
- 岩津水力発電所にいってきた - 2017年9月ようか - あきひこのいいたいほうだい|2018/05/08
- とこやさんから岩津(いわづ)に水力発電所があるってきいて、いってきた。きょねん2017年9月ようかのことだけど紹介しとく。
- 水力発電所ギャラリー - 中部電力岩津発電所 - 水力ドットコム
- 現地の「岩津水力発電所百周年記念碑」より
- 1897年、電気事業は産業の発展・国家経済に有益であり、それには水力電気が有望であるとして、岡崎電灯の杉浦銀蔵・田中功平・近藤重三郎の三氏らにより建設されたのが岩津発電所である。
- 郡界川の豊富な流量と、二畳ヶ滝の落差を利用した出力50キロワットの発電所で、岡崎方面1,300戸に初めて電灯をともした。その后、1900年12月、102キロワットに増設され、岡崎電灯の中心的発電所として活躍したが、1926年、落雷による火災で焼失し、1927年3月、130キロワットの発電所として再建されて現在に至っておる。
- 現在当社の発電所総出力は、水力・火力・原子力併せて3,000万キロワットを超えておる。岩津水力発電所は小出力ではあるが、その一翼を担う歴史的かつ貴重な発電所である。明治・大正・昭和・平成の四代を生き抜き、中部電力で現存する最古でしかも最小の水力発電所であることから、ここに運転開始100年を記念し、太田宏次社長が賦された漢詩ならびに書を詩碑として建立したものである。
- 1997年10月吉日 中部電力株式会社
- 岡崎支店長 武藤昭世
- 現地の「岩津水力発電所百周年記念碑」より