おすし街道から木曽川堤防にあがったとこにあるあずまやに、「昭和はじめごろの笠松みなとかいわい」って説明がきがある。
昭和はじめごろの笠松みなとかいわい
- 笠松みなとは、江戸から明治時代にかけ交通運輸の重要な拠点としてさかえました。鉄道やトラック輸送が発達する1955年ごろまでは、漁業、採石、水運とおおくのひとびとの生活のばとし、対岸の愛知県もふくめて70隻ほどのおおぶね、こぶねが登録されており活気にあふれておりました。
- また、かわぞいではいどほりが禁止されとったため、水道が整備されるまではかわであらいもんをしたり、いえまでみずをはこんでひびの生活水として利用したりと、住民にとって木曽川はなくてはならん存在であり、かわとのかかわりはひじょうにふかかったようです。
- 上下流からはこばれた物資をにあげするときにつかわれたさかみちのいしだたみ(岐阜県重要文化財/史跡)も当時のなごりとしていまもしっかりのこっております。
- 1980年ごろからは、河川にはりつくようにたっとったいえいえは治水計画などにより移転となり、むかしのやなみはじょじょにきえていきました。ほのあと、歴史ある笠松みなとは、堤防からかわもが一望できるうつくしい公園へと変貌し、伝統あるかわまつりや各行事など、おおくのひとびとのいこいのばとしてひろく活用されております。
- うえのえ地図は、当時のおもかげをいつまでもこころにとめてほしいとのねがいをもとに、じもと関係者らのご協力をえてえがかれたものです。
〔2022年2月11日訪問〕