「くさわけ8人衆」のひとり
入植したのは「関ケ原のたたかい」すこしまえ杉山家は始祖は「笠松くさわけ8人衆」のひとり「市右衛門」さんです。8人衆が入植してきたのは「関ケ原のたたかい」7年まえで、市右衛門さんは川出村(いまの岐阜市)からやってきました。
当時の笠松は、1586年の木曽川大洪水によってできたあれちを開拓してうまれた比較的にあたらしい土地でした。
(ちなみに、この洪水によって木曽川すじがいまの木曽川に激変。ほれ以前の木曽川は境川でした)やがて笠松は徳川幕府によって直轄領(天領)となり「美濃郡代」がおかれました。杉山家は有力庄屋のひとりとして「往来人馬問屋」を輪番でつとめました。
「あゆずしの将軍献上」の宿次(しゅくつぎ)にかかわったのは高島家がよくしられておりますが、杉山家もほの任にあたったのです。
地図 大洪水のあとの木曽川沿岸地図 え 市右衛門さんらに「往来人馬問屋」の設置を命じた3代め「美濃郡代」代官の岡田将監善政(おかだしょうげんよしまさ) 写真 「8人衆」が地域のまもりがみとして造営した八幡神社
〔2022年2月11日訪問〕
(さんこう)