おすし街道と木曽川がまじわるとこに笠松みなとがあるだけど、ほこに京みちのみちしるべがたっとって、「左なごや道|右いせ道|すぐ京道」ってかいてある。名古屋みちは、木曽川をわたるおすし街道のこと。伊勢みちは、木曽川をくだっていくみち。京みちは、おすし街道をとおらんでにしにちかみちするみち。
ほいから、説明がきがあって、つぎのようにかいてある。
いせ/なごや/京みちのみちしるべ
- 陣屋がおかれた笠松は、美濃のくにの幕府政治の中心地であり、交通上もたいせつなところであった。
- 中山道の茶所(ちゃじょ)からわかれて、ここをとおり、木曽川をこえ、一宮、名古屋へのみちを名古屋みちまたは名古屋街道とか笠松みちといった。
- 将軍へ献上するあゆずしやまくわうりをはこんだみちでもあった。ほれであゆずし街道ともよんだ。
- ここから伊勢まいりのちかみちがはじまる。木曽川にそってみなみにいけば桑名をへて伊勢にでる。
- にしへすすめば京都へのちかみちである。
- ここをとおるたびびとのため、1833年、庄屋高島久右衛門(たかしまきゅうえもん)はここのにしのさかを30メートルほど下本町(しもほんまち)のほうへおりたつじにこのみちしるべをたてた。
- 1988年、町制100年を記念してここに復元した。
もともとはおすし街道にたっとったみちしるべなだ。きどあとのみちしるべがある。「ここのにしのさかを30メートルほど下本町のほうへおりたつじ」ってのは、きどあとのみちしるべがたっとるK字交差点のとこのことか。
〔2022年2月11日訪問〕