- ほのあと、1924年10月には平戸橋、猿投両駅が開業しました(1926年、大浜港~猿投間電化)。
- 1925年、足助延長の起工式がおこなわれ、1927年から1928年1月にかけて、猿投~西中金間が開通しました。西中金~足助延伸は、とちゅうまで路盤も完成しておりましたが、用地買収の難航や世界恐慌のえいきょうで、工事は中断しました(1941年、三河鉄道は国策にしたがい名鉄と合併)。合併后も、西中金~足助間については工事施工期限の延長をくりかえしましたが、1958年に免許を返納しました。
- 交通事情の変化もあり、2004年4月ついたち、猿投~西中金区間は廃止となりましたが、知立~豊田市~猿投をむすぶ名鉄三河線は、1日平均7万5千人(2018年)をはこぶ、ひとびとのあしとなっております。
〔豊田市近代の産業とくらし発見館〕
〔2021年1月じゅうよっか訪問〕