2023-02-01 信参鉄道にかんするあきひこゆめてつどうの記事のいちらん てつどう 信参鉄道の記憶 足助をめざした鉄道がみっつある。岡崎電気軌道、三河鉄道、信参鉄道(しんさんてつどう)のみっつだ。岡崎電気軌道は、いまはなき名鉄挙母線の前身で、岡崎から北上して足助にいたる予定だった。三河鉄道は名鉄三河線の前身で、刈谷、知立から北上、豊田を経由して足助にいたる予定だった。信参鉄道は、新川から北上、あんじょうを経由して、豊田、足助にいたる予定だった。岡崎電気軌道は門立(もだち)まで開業して、以北断念。三河鉄道は西中金(にしなかがね)まで開業して、以北断念。信参鉄道は、どの区間も開業することなく解散。 明治期の私設鉄道布設計画路線略図(豊田市域関係分) - 挙母駅開業100年展 1889年のくにによる東海道線全通を機に、全国的に私設鉄道建設へのいごきが活発になりました。1896年ごろからこの地方でも各地をむすぶおおくの鉄道路線計画がだされましたが、当時は私設鉄道の布設について政府がきびしく監督しとったため、資金不足などにより、ほとんどの申請は不許可となりました。ほのようななか、1901年、信参鉄道はかり免許を交付されました。しかし、工事着手までこぎつけたものの、1916年に解散となりました。 足助と鉄道 信参鉄道の計画新川(しんかわ)やあんじょうは西三河平野部のまちだ。いま、愛知県から長野県南部につながる鉄道は、東三河の豊橋をまわって静岡県のはしっこをかすめながら飯田、辰野までいく飯田線しかないだけど、これとはべつに西三河から足助を経由して長野県南部にいく新参鉄道(しんざんてつどう)っていう鉄道の計画があっただ。足助と長野県南部のむすびつきのつよさをものがたる。 たのしんだ、まなんだ! 西蒲線存続応援行事♪ こんどは、むかしの鉄道路線図をいくつかみる。西尾鉄道設立発起人会をひらいた当時の鉄道路線図では、わが西三河地方は東海道線とわずかに岡崎馬車鉄道がある以外は、予定線として安城から南北にのびる信参鉄道(しんざんてつどう)があるだけだ。こんな状態の西三河地方にあって、西尾鉄道は西尾から岡崎まで鉄道をひかあとしただ。ちなみに信参鉄道は線路をひくばっかりになっとっただけど、資金難で解散しちゃっただげな。 信参鉄道が できとや 安城は かわっとっただよな みなみは、いまの 名鉄 西尾線より ちょこっと にしの へんを とおって みなみに すすんだ あと、矢作川 (やはぎがわ)を わたらずに にしに むきを かえて、新川 (しんかわ)に いたる。ほんで きたが すごい。うえの 地図だと 「矢作へ」って かいて あるだけど、これは 計画が 縮小された あげくに 最後 新川-安城-矢作間を 建設する ことに なって、その 工事を 着工する 目前の 地図だで ほう なっとる わけで、構想は 矢作から さらに 挙母 (ころも)、足助 (あすけ)と のび、さらに さらに 稲橋、飯田から 中央線の 辰野 (たつの)に 達する もんだっただ。