矢作神社の由緒がき

2019.10.15 (24) 矢作神社 - 拝殿 2000-1500

2019年10月15日、矢作神社におまいりして由緒がきをかくにんしてきた。

2019.10.15 (23) 矢作神社 - 由緒がき 1800-1350
矢作神社
鎮座地:愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵(ほうじゅあん)1番地
祭神(さいじん):素盞嗚尊(すさのおのみこと)、豊受大神(とようけのおおかみ)、保食神(うけもちのかみ)
例祭:10月ふつか
由緒
第12代景行天皇のみよに日本武尊が東夷ご征伐のとき、軍神として素盞嗚尊をおまつりし、ひろまえでやをはぎたまいしため、社号を矢作神社ってとなえた。社前のやだけはほのいわれのあとっていわれとる。1083年、源義家陸奥守(むつのかみ)として奥州へ征伐にいくとちゅう、日本武尊の故事にならって参拝されたってつたえられとる。ほのあと1335年、新田義貞足利尊氏とのたたかいで戦勝を神前に祈願したおり、社畔のいしが鳴動した。これはかみのご加護があるってしんじて、おおいにたたかいついにかちをおさめたっていわれとる。つたえて「うなりいし」として拝殿の西南にある。1532年から1554年までの天文年中、岡崎城松平広忠は祀田20石をおいたけど、当社は中古より矢作橋改築ごとに城主および普請奉行から奉幣寄進するのが例だったっていう。
第1次世界大戦后、帝国軍艦矢矧の艦長以下船員一同の崇敬あつく、艦内に矢作神社の分霊を奉斎(ほうさい)して大祭を執行し、また、兵員一同正式参拝もおこなわれ、軍艦矢矧の模型を奉納されておる。

中古牛頭天王って称したけど維新后旧名の矢作神社に復した。
1872年9月17日、郷社(ごうしゃ)となり、1907年10月には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定された。
秋葉神社には加具土命(かぐつちのみこと)を奉祀(ほうし)する。