社記
愛知県豊田市野見山町4丁目21番地
野見神社
- 祭神
- 例祭
- 10月17日
- 境内地
- 1,053坪
- 建造物
由緒沿革
- 祭神(さいじん)のみのすくねは出雲国造氏(いずもこくそうし)と同族で、あめのほひのみこと(天穂日命)14世のまごで、飯石郡(いいしぐん)野見の地にたんじょうしたまう、ゆえになとした。かくて垂仁天皇(すいにんてんのう)7年勅命によってみやこにひとをくるしめる悪逆非道なたいまのけはや(当麻の蹶速)を一蹴をもってこれをたおした。また土師部(はじべ)をひきいてはにわ(土偶)をつくり殉死を禁ずるなど偉大な功績があった。后世すもう、土器の祖神としてあおがるるゆえんである。
- 当神社の創立は垂仁天皇22年(2006年まえ)で、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)(1075年まえ)にのたまう加茂七座のうちの第一野見神社、国内神名帳にのたまう正五位(しょうごい)下野見天神であって、当時の社格国幣小社(こくへいしょうしゃ)に列せられて祈年祭の幣帛にあずかりたまい、西三河著名の古社である。后世渡辺藩の武運長久領内安全の祈願所であった、1908年10月愛知県は神饌幣帛料供進神社に指定し、1916年10月名勝旧跡として標柱をたて、1942年10月内務省は郷社に昇格した。終戦后宗教法人となり愛知県神社庁9級社となり、1977年10月本殿以下のたてもんを改築した。
(※ 垂仁天皇22年は西暦紀元前8年)
(※ 延喜式神名帳ができたのは西暦927年)
(※ この由緒がきの設置年はうらにかいてあっただらあけど、みんじゃった)
境内神社 祭神 秋葉社 かぐつちのかみ 金刀比羅社 おおものぬしのかみ 御鍬社 とようけびめのかみ 稲荷社 うけもちのかみ 八王子社 くにのさづちのかみ 胸形社 いちきしまひめのみこと 冨士浅間社 このはなさくやひめのみこと
〔2021年4月28日訪問〕