笠松は八幡神社の東南に美濃郡代笠松陣屋あとがあって、説明がきにつぎのようにかいてある。。
笠松陣屋・県庁のあと
笠松陣屋は美濃郡代名取半左衛門長知(なとりはんざえもんながとも)が、江戸時代はじめの1662年に「笠町(かさまち)」を「笠松村(かさまつむら)」とあらため、この地におきました。
陣屋は笠松県庁になるまでのおよそ200年間、美濃国内の幕府領の支配と治水をおこなう役所として天下におもき位置をしめておりました。
1868年1月、笠松陣屋は朝廷の命をうけた竹沢寛三郎(たけざわかんざぶろう)が天朝御用所(てんちょうごようしょ)とあらため、同年4月、笠松裁判所となりました。さらに同月、笠松県の県庁となり県知事には長谷部恕連(はせべじょれん)が任命されました。1871年、笠松は岐阜県庁たんじょうの地となり、岐阜町にうつるまで県政の中心になっておりました。。
ここに、笠松町制100年を記念して、ながく后世に保存せえとするもんです。
1989年3月
〔2022年2月11日訪問〕