2021-11-01 西本願寺名古屋別院西別院の医学講習場あと あるく 西本願寺名古屋別院西別院のいりぐちに「医学講習場あと」の説明がきがある。 医学講習場あと 1874年、西本願寺別院境内のこの地に、かり病院の付属として医学講習場が設置された。そのご、公立医学講習場、つづいて公立医学所と解消された。ここでの医学教育は、当初アメリカ人教師により講義は英語で、教科書も英語の原書でおこなわれた。 1877年、堀川すじの天王崎にうつり、1881年には愛知医学校と改称され、そのごも改称をかさね、戦后名古屋大学医学部となった。 名古屋市教育委員会 (2021年10月21日訪問) (さんこう) 愛知医学校・愛知病院あとのいしぶみ - 堀川東岸の天王崎町 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/16 2019年6月11日、堀川東岸に愛知医学校・愛知病院あとのいしぶみを発見した。新洲崎橋(しんすざきばし)と天王崎橋(てんのうざきばし)の中間あたりで、むかしは天王崎町っていう地名だったらしいとこだ。愛知医学校・愛知病院ってのは名古屋大学医学部の前身で、このいしぶみのある堀川東岸に1877年に新築移転してから、1914年に現在地の鶴舞に移転するまでの37年間あったとのこと。