三河鉄道の創立
- 1910年、大阪の資本家才賀藤吉と、碧海郡(へっかいぐん)の有力者らが発起人となり、知立町から大浜町(いまの碧南市)にいたる碧海軽便鉄道(へっかいけいべんてつどう)を鉄道院へ出願しました。1911年に布設免許をえて、1912年、刈谷町の正覚寺で創立総会をひらきました。社名を三河鉄道株式会社にあらため、資本金を50万円とし、軌間を1067ミリで建設することをきめました。
- さらに三河鉄道は、1912年に知挙軽便鉄道(ちきょけいべんてつどう/1911年設立/知立町~挙母町の鉄道布設を計画)の免許権をゆずりうけました。
- 三河鉄道は1913年1月、建設工事に着手し、翌1914年2月に刈谷新(いまの刈谷)~大浜港(いまの碧南)間14.5キロの営業を開始しました。1915年10月には刈谷新~知立4.0キロが開通、旧碧海軽便鉄道の計画した路線(いまの三河線海線)がすべて完成しました。開業時は蒸気機関車が客車、貨車をけんいんしました。しかし、予想に反して経営状態はおもわしくありませんでした。
〔豊田市近代の産業とくらし発見館〕
〔2021年1月じゅうよっか訪問〕
(さんこう)