神谷伝兵衛と挙母、越戸への延伸 - 挙母駅開業100年展

2021.1.14 (33) 3.神谷伝兵衛と延伸 - 説明がき 1050-1510

神谷伝兵衛と挙母、越戸への延伸

  • 1916年神谷伝兵衛(初代)は3代め社長に就任しました。伝兵衛は、会社発展のためには知立から挙母をへて、猿投村越戸(いまの豊田市越戸町)にいたる18.0キロの鉄道延長が急務とかんがえ、1916年11月、臨時かぶぬし総会で125万円に増資する決議をえました。当初は、信参鉄道(しんさんてつどう)が挫折して1916年に解散した経験もあり、沿線町村は消極的でした。こうしたなか、伝兵衛は自動車でこれらをまわって、熱心にかぶしきのひきうけを勧誘し、ほの熱意により、増資計画はすすみました。複数の候補があった路線は、若林竹村両村民のはたらきかけにより、現在の路線に決定したとつたわっております。
  • 1920年7月いつか、知立~土橋間10.4キロが開通し、8月31日に上挙母まで、11月ついたち挙母まで開通しました。知立挙母間の建設費は、およそ79万円でした(三河鉄道株式会社『第22回報告』)。路線は梅坪をへて、1922年1月には越戸まで開通。伝兵衛が計画した全路線が完成しました。伝兵衛はほの3か月后かえらぬひととなりました。越戸延伸のねらいは、越戸鉱山の珪砂(けいしゃ/ガラスの原料)や木節粘土(きぶしねんど/耐火レンガの原料)などの輸送でした。これらは三河線をとおして全国へ出荷されました。
2021.1.14 (32) 3.神谷伝兵衛と挙母、越戸への延伸 1700-1770

豊田市近代の産業とくらし発見館〕
〔2021年1月じゅうよっか訪問〕


(さんこう)