くに登録有形文化財(建造物)旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 岡崎市教育委員会

くに登録有形文化財(建造物)旧愛知県第二尋常中学校講堂
2020.4.14 (1) 旧愛知県第二尋常中学校講堂 2000-1500
岡崎市教育委員会

1.はじめに
2.旧愛知県第二尋常中学校の歴史
3.旧愛知県第二尋常中学校講堂の名称の変遷
4.旧愛知県第二尋常中学校講堂の登録理由と概要
5.旧愛知県第二尋常中学校講堂の評価
1.講堂としての評価
2.木造建築としての評価
3.外観と内観に関する評価
4.時代的評価
5.立地的評価
6.おわりに

1.はじめに

旧愛知県第二尋常中学校(以下、旧愛知二中)は明治政府の中学校令に基づき設置され た学校で、愛知県尋常中学校(現:旭丘高等学校)に次ぐ2番目に設置されました。いわ ゆるナンバースクールです。旧愛知二中は現在の岡崎高等学校であり、長い歴史をもつとともに、これまでに多くの偉人を輩出してきました。

旧愛知二中講堂には奉安庫と呼ばれる、明治天皇御真影を安置する一室が存在します。近代の教育施設には欠くことのできんものであり、この建物が長い歴史を経てきた証です。旧愛知二中講堂は教育の歴史だけでなく、当時の日本社会や建築文化を反映した建物でもあります。また、旧愛知二中の校地移転后は、講堂は日清紡績針崎工場内に移築され、竜城実科高等女学校講堂として使用された時期もあることから、当地域の近代産業史における女子教育のあり方を示す好例でもあります。

こうした教育史、建築史、産業史を語る上で大変貴重な建物であり、文化財的価値が認められ、国の登録有形文化財に登録されました。現在は公開活用しておりませんが、今后は必要な修理や耐震対策による保存措置を講じるとともに、活用方法についても検討していきます。

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旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 正面立面図 590-370

2.旧愛知県第二尋常中学校の歴史

年表

1886年、中学校令の公布

1891年、中学校令の改正

1896年、愛知県第二尋常中学校開校

1897年、戸崎村の新校舎に移転

1899年、中学校令の改正

1899年、愛知県第二中学校に改称

1901年、愛知県立第二中学校に改称

1919年、中学校令の改正

1922年、愛知県岡崎中学校に改称

1924年、明大寺の新校舎に移転

1943年、中等学校令制定

1948年、愛知県立岡崎高等学校に改称

1886年に公布された「中学校令」は、わが国の中等教育の基幹をな す中学校の制度を確立させました。1891年の改正では尋常中学校の設置に関して、一府県一校設置を原則としましたが、土地の状況によっては数校を設置することを認めまし た。この中学校令改正の5年后に愛知県で第二番目となる中学校として愛知県第二尋常中学校が開校しました。

旧愛知県第二尋常中学校は、針崎村の勝鬘寺内の建物を仮校舎として開校しました。翌年には戸崎村に建設された新校舎へ校地を移転させました。その后、3度の校名改称を経て、生徒の数が増加し校舎も手狭になったため、1924年に明大寺の新校舎に校地移転しました。戦后、学制改革により現校名である「愛知県立岡崎高等学校」に改称し現在に至っております。

旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 明治末期の学校全景 560-290

3.旧愛知県第二尋常中学校講堂の名称の変遷

年表

1897年、愛知県第二尋常中学校講堂

1899年、愛知県第二中学校講堂

1901年、愛知県立第二中学校講堂

1922年、愛知県岡崎中学校講堂

1925年、日清紡績針崎工場講堂

1948年、日清紡績針崎工場竜城実科高等女学校講堂

4.旧愛知県第二尋常中学校講堂の登録理由と概要

登録基準
造形の規範となっておるもの
登録理由
岡崎市針崎町の住宅地東側に隣接し西面して建つ。木造平屋建て、瓦葺きとする。外壁はドイツ下見板張りとし、外観の意匠は左右対称を基本としており、窓の上下などの位置に配した縦材・横材が浮かび上がる構成となっておる。室内は天井を格天井とし、講堂としての格式の高さをうかがわせる。
所在地
岡崎市針崎町字春咲1-1
構造
木造平屋建、桟瓦葺
規 模
347平方メートル(建築面積)
建築年代
1897年、竣工
1925年、移築

旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 平面・立面図 570-460

5.旧愛知県第二尋常中学校講堂の評価

1.講堂としての評価

建築年代についてみてみると、県内に現存する旧制中学校及び旧制中等教育機関の講堂として最も古い建物です。なお、旧愛知県第二尋常中学校(以下、旧愛知二中)よりも設立が早い旧愛知県第一尋常中学校(現:旭丘高等学校)については、空襲で焼失しており、明治期の校舎、講堂などの建物は現存しておりません。

また、旧制中等教育機関だけでなく、初等教育機関(小学校)や高等教育機関(大学や旧制専門学校)についても、愛知県内では新城小学校講堂(1935年)、七宝小学校講堂(1936年)、足助小学校講堂(1938年)の3件が現存するのみで、旧愛知二中講堂が最古です。

さらに、全国的な範囲においては、旧香川県尋常中学校丸亀分校本館(本館兼講堂、1893年)が最も古い建築年ですが、これは本館機能の中に講堂を組み込んだ建物であり、講堂単独の建物ではありません。現存する講堂単独の建物としては明治期のものが数例ありますが(※1)、建築年代でみると旧愛知二中講堂が現存最古です。

(※1)
旧栃木県第三中学校講堂(明治1903年)、旧栃木県立栃木中学校講堂(1910年)、旧石川県立七尾中学校講堂(1910年)など
2.木造建築としての評価

旧愛知二中講堂は鉄筋コンクリート造や軽量鉄骨造といった構造形式が一般化する以前の時期に建築されたため、木造となったと考えられます。

また、学校建築の手引書的存在である『学校建築講和』(后藤米太郎著、1938年(※2))では、講堂を木造で建てる場合には梁間8間、桁行12間以下、面積100坪(330平方メートル)以下が望ましいことが記されるが、旧愛知二中講堂はこの規模よりも大きく、木造の講堂としては一般的な規模より大きめの講堂であるといえます。

したがって、大空間の確保のために、小屋組(※3)をトラスとして、室内に立つ柱の軽減を図っております。構造的にはトラスの水平材が両端で支えられておれば問題ありませんが、実際には14本の独立柱が室内を二分するかのように立ち並んでおります。これらは適正規模を超えておる講堂に対して、安全性を確保し、使う側にとっての安心感を生み出すものであったと考えられます。

(※2)
筆者の后藤は愛知県技師を務め、愛知県が建設する学校の設計監理に携わっておりました。
(※3)
小屋組:和小屋と洋小屋に大別されます。洋小屋は幕末に導入された西洋の小屋組で、細い部材で三角形のトラスを構成する架構法です。

え)こやぐみの種類 740-110

お)旧愛知県第二尋常中学校講堂 - こやぐみ 640-250

3.外観と内観に関する評価

外観は18世紀にアメリカで流行したジョージアンと呼ばれる木造下見板張り(ドイツ下見板張り)の様式を基本として、19世紀にアメリカで流行した木造建築の様式であるスティックスタイル(※4)が加味されております。ジョージアンは、アメリカ開拓時期に流行し、正面にペディメント(※5)を見せ、シンメトリー(左右対称)を意識した外観等、西洋古典建築の部分的な特徴を取り入れたものです。

内観は天井や独立柱に白ペンキが施されるなど、基本的に西洋建築の手法がとられておりますが、天井を格天井(※6)とし、独立柱と格天井との間の柱頭飾りを大斗(※7)の意匠とするなど、古来日本の木造建築の特徴も見られ、西洋建築と日本建築の意匠が混在する和洋折衷意匠で造られておることが際立ちます。

(※4)
下見板を外側から付柱で抑え、窓の上下などの位置に水平材を廻しておるもので、下見板を地とした場合に、それらの縦材・横材が棒(スティック)状に浮かび上がることからこのように呼ばれます。
(※5)
西洋の古典建築で、切妻屋根の妻壁にできる三角形の部分。
(※6)
太い木を井桁状に組み、上に板を張った天井のことで、鎌倉時代以降、主に格式の高い部屋に用いられてきました。明治時代以降は洋風建築にも用いられるようになります。
(※7)
古建築の軒を飾る組み物のひとつで、柱の直上にあって、上部の荷重を受けている斗のことを指します。

か)したみいたばり模式図 620-280

き)旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 玄関ペディメント 625-265

く)旧愛知県第二尋常中学校講堂 - 格天井と独立柱 560-220

4.時代的評価

旧愛知二中講堂の建築年代である1897年前后という時間軸に建物を置いたとき、愛知県内では公共性を有する建物で現存するものは極めて少なく、貴重な建物といえます。またこの時代は日本建築の意匠を取り入れながら、新たな近代建築を模索する過程にあり、外観において和洋折衷とする事例(※8)と対比すると、外観を西洋建築の意匠とし、内観で和洋折衷を採用している旧愛知二中講堂は斬新に映ります。

講堂の成り立ちをみてみると、江戸時代后半に発達した各地の藩校では、武道場(剣術・武術の鍛錬場)と講堂(話を聞く場)が独立併存することで文武両道を表現しておりました。明治維新后も話を聞く場として講堂の性格が引き継がれ、学校には必要不可欠な施設となりました。しかし、大正時代后半から講堂と室内体操場を兼ねた建物が建てられるようになり、戦后は体育館という名称で講堂を兼ねた体育施設が建てられるようになります。こうした変遷のなかで、明治期に建てられた旧愛知二中講堂は、体育施設を一切加味しておらん施設であり、当時の講堂の典型例であるといえます。

また、旧愛知二中講堂の正面には奉安庫が設置されており、かつて中には天皇と皇后の写真(御真影)や教育勅語が納められておったことなど、こうした点も近代学校教育の時代性を物語っております。

(※8)
奈良県庁舎(1894年)、日本勧業銀行本店(1899年)
5.立地的評価

一般的に日本の地方都市では、明治維新以降の近代化の中で、公共建築が重要な役割を持つことが多いとされます。すなわち、公共建築が構造・材料、様式・意匠の面で民間の建物を主導していくといえます。

岡崎という地方都市に建てられた旧愛知二中講堂もまた公共建築であり、閉鎖さ れた学校空間の建物とはいえ、校地の堀外から見えるその存在感は大きかったと思 われ、そこで採用された西洋建築の様式等は民間の建物にも影響を与えたと考えます。

6.おわりに

国の登録有形文化財は、従来の文化財指定制度(国の指定)を補完する新しい保護手法 として1996年に導入された文化財保護制度です。特に優れた建造物を厳選して国宝・重要文化財に指定する制度は保存が大前提となっておりますが、登録有形文化財(建造物)は活用しながら保存していく考え方の制度です。その対象は、建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、原則として建設后50年を経過し、①国土の歴史的景観に寄与しておるもの、②造形の規範となっておるもの、③再現することが容易でないもの、となっております。

登録有形文化財(建造物)は、全国に12,261件、愛知県に513件、岡崎市には18件あります。岡崎市には旧額田郡公会堂及物産陳列所、六供浄水場ポンプ室・配水塔など、近代公共建築や近代住宅が残されております。

文化財建造物は、建物ごとに必要な修理や活用方法を検討する必要があります。市内に 残る文化財建造物だけでなく、歴史的建造物も併せて適切に保存・活用できるよう、関係機関と協議しながら検討を進めてまいります。

岡崎市社会教育課文化財係〕

<参考文献>
『新編岡崎市史 - 建造物18』岡崎市教育委員会、1983年6月30日
『旧愛知県第二尋常中学校講堂現状調査報告書』岡崎市教育委員会、2011年3月1日

(さんこう)