両町の常夜灯 - 東海道岡崎城下

2019.10.9 (30) 両町常夜灯 - むかしの写真 1020-1760

2019年10月ここのか、東海道岡崎城下をあるいとって、両町の常夜灯を発見した。ばしょは「に」のみちしるべと「は」のみちしるべの中間。東海道が南北になっとるとこのひがしがわ。

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2019.10.9 (26) 両町常夜灯(西北から) 1350-1800

「に」のみちしるべから東海道をみなみにちょこっといったとこで、ひだり、みちのわきに両町の常夜灯を発見。両町公民館のしきちの西北かどになる。いや、常夜灯っていっても、うえにいしのたまねぎがのっとるだけの石塔で、ちいさなお堂にはいっとる。ちょうど両町公民館にやってきた和服美女があって、つかまえてきいてみる。もともとはまっとずーっとおおきかったもんを、うえのほうだけのこしてお堂にいれただっていう。

2019.10.9 (27) 両町常夜灯(みなみから) 1510-1890

みぎに常夜灯の由緒がかいてあって、よんでみる。
「この常夜灯(仏式)は旧東海道岡崎の宿両町のまちかどに火災防止の祈願から遠州秋葉山永代常夜灯として、いまより182年前の1790年にたてられたものであります。ほのあと1945年7月はつか未明のくうしゅうで災禍にあいましたが、1972年10月22日まではほの原型をとどめておりました」
「追日(ついじつ)のいたみもひどく危険になりましたのでとりこわし、ほの一部『宝珠(ほうじゅ)』をのこし、これを安置保存いたしたものであります。岡崎ではもっともふるい由緒ある常夜灯で、目下重要な文化財としてしたしまれております」
「1972年10月、両町総代神谷順治、施工者:岡崎市両町2丁目47、宮石一一(1905年2月いつか、67才)」
なるほど。たまねぎは宝珠だっただ。

2019.10.9 (28) 両町常夜灯 - むかしの写真 1730-1380 2019.10.9 (29) 両町常夜灯 - むかしの写真 1750-1400

お堂のなか、宝珠のうしろをようみると、むかしの写真がある。たてもんはたぶんむかしの公民館だっておもうだけど、ほのたてもんより常夜灯のほうがせがたかい。

2019.10.9 (30) 両町常夜灯 - むかしの写真 1020-1760

常夜灯だけの写真もある。宝珠のまうしろにあって、角度のないとこから、しかもお堂のとびらのガラスの反射になやまされながら、なんとかほの写真をさつえい。いや、じつにりっぱな常夜灯だ。

和服美女には、ほかにもはなしをきいた。両町ってのはちいさなまちであること。伝馬どおりからきたに岡崎天満宮にいくみちのりょうがわみみせがたちならんどって、ほいで両町っていうなまえになったこと。かたがわだけにみせがあるとこもあって、ほれは片町っていうだげな。岡崎天満宮のおまつりが先月2019年9月23日、にじゅうよっかにあったこと。