2019年10月ここのか、東海道岡崎城下27まがり「は」のみちしるべを発見した。
ばしょは伝馬どおりの1本みなみのとおり、ひがし両町2丁目交差点とにし両町1丁目交差点の中間の十字路の東北かど。この十字路をみなみにいくと岡崎市消防本部につきあたるってとこだ。きたに「に」のみちしるべにつながって、ひがしに「ろ」のみちしるべにつながる。
「は」のみちしるべのちょこっとひがしに、べつに石柱のいしぶみも発見。「は」のいしぶみよりずーっとむかしっからあったもんだっておもうだけど、たてがきに「岡崎城下二十七曲、両町より伝馬町角」ってかいてある。「に」のみちしるべのとなりにも石柱のいしぶみがあるだけど、ほこにかいてあるのとおんなじ文言だ。
石柱のいしぶみのうら面には説明がき。たてがきに「1590年岡崎城主田中吉政は城下の東海道を27まがりにし、防備をはかった。ここに標識をたて郷土再見の一翼とする。1981年3月、岡崎中央ライオンズクラブ建之、丘南書」ってかいてある。これも「に」のとこのいしぶみの文言とおんなじだけど、ほっから「堅固」のふた文字がぬけて、「葵水書」が「丘南書」にかわっとる。