2019年10月27日、東海道岡崎城下27まがりのひがしのいりぐちにある冠木門(かぶきもん)をおとずれて、ほのとなりのいしぶみをかくにんしてきた。
岡崎城下27まがり
岡崎城下をとおる東海道は、ほの曲折のおおさでしられ、通称27まがりってよばれておりました。1801年当地を見聞した大田南畝(おおたなんぽ)も「町数54町、27まがりありとぞ」って「改元紀行」にかいております。
27まがりは、田中吉政が城主だったとき(1590-1600)、城下に東海道をみちびきいれたことにはじまり、のち本多康重(ほんだやすしげ)が伝馬町を1609年に創設して以后、みちすじがほぼ決定したっておもわれます。ほのねらいは、城内を防衛するためのもんっていわれますけど、これにより岡崎の城下町は東海道すじのしゅくばまちとしても繁栄することになりました。
27まがりの一部は、戦災復興の道路整備などによりうしなわれはしたもんの、現在でもほのあとをたどることは可能です。この歴史のみちともいうべき27まがりを后世につたえるために、城下27まがりのひがしぐちであった当所に記念碑をたて、みちしるべとします。
1991年3月/贈:岡崎中央ライオンズクラブ
◇ ◇
いしぶみには地図もついとって、いちばんひがしの「現在地」ってとこが冠木門のとこだ。
にしに、しゅくばまちである伝馬どおりをとおっていって、篭田総門(かごたそうもん)で総堀をわたって、総がまえのなかにはいっていく。
ほっから総がまえのなかをしろのきたがわをまわってにしにすすんでいって、松葉総門で総堀をわたって、総がまえのそとにでていく。さいごは矢作橋。
◇ ◇
冠木門は門っていっても、みちによこに面してたっとる。むかしはみちをまたいでたっとったのか。