笹尾山てっぺんの石田三成陣地に関ケ原古戦場史跡位置図があって、ほっからみえる史跡の位置がしめしてある。
史跡位置図。ひだり半分が東軍で、桃配山の徳川家康陣地はいちばんひだりおく。みぎ半分が西軍で、東軍にねがえった小早川秀秋陣地はいちばんみぎおくにあって、ついにいごかんかった島津義弘陣地はみぎてまえにある。
陣形図と関ケ原のたたかいの推移。
陣形図。ここ関ケ原は、中山道、北国街道、伊勢街道のまじわる交通のかなめの地にあることがわかる。東西各軍がそれぞれの街道にそって、あるいはちょこっとはなれてじんどっとる。
関ケ原のたたかいの推移。前日のようすもちょこっとふくめて、1600年9月15日当日のたたかいのようすがかいてある。あさたたかいがはじまって、ひるすぎに東軍が勝利。
〔2021年6月とおか訪問〕