|
〔2021年3月よっか訪問〕
(さんこう)
- 公式サイト - 挙母神社 > 挙母神社について > 由緒
- 神社の創建については諸説ありますが、一般的には1189年源義経の家臣鈴木重善(善阿弥)が、熊野より奥州の義経のもとに向かう途中、この地で義経討死の訃報を聞きここに留まり隠れ住んだ。その后大和吉野より「子守明神」を勧請してここに祀った、といい伝えられております。(挙母記・鎌倉実記)
- この「子守明神」は江戸時代「子守大明神」と呼ばれ、歴代の挙母藩主が敬い、またこの地方の庶民の崇敬の中心となっておりました。
- 1871年「挙母神社」と改称され現在に至っております。
- 挙母神社は別名「子守の宮」と呼ばれるように、子供の成長の守り神として昔より「おこもりさん」と呼ばれ、親しまれてきました。
- それだけに安産祈願、初宮詣り、七五三詣りにと、いつの世にも変わらぬ親心で参拝者が絶えません。