2021-01-22から1日間の記事一覧

大正から昭和初期の越戸駅 - 挙母駅開業100年展

大正から昭和初期の越戸駅/個人提供昭和初期ごろまでは矢作川の砂利、昭和のおわりごろまで珪砂や木節粘土が出荷されました。また、関東大震災后には、復興用の材木が大量にえきへあつめられ、東京へはこばれました。のづみされた材木のかわをはいで、炊事…

1986年ごろの梅坪駅 - 挙母駅開業100年展

1986年ごろの梅坪駅/市政発信課提供開業からしばらくは、篭川の砂利、貞宝の磨砂、藤岡の珪砂が出荷されました。1967年、えき近隣で旭硝子(いまのAGC株式会社)が操業を開始すると、入荷の主流は硝子の材料(素板)になりました(1977年貨物営業廃止)。現…

1961年トヨビル竣工 - 挙母駅開業100年展

トヨビル竣工(1961年)/市政発信課提供1階にバスターミナル、地下にえきのかいさつぐちがありました。竣工当初、愛知県下でもめずらしい、ショッピングセンターをかねそなえたえきとして注目されました。 〔豊田市近代の産業とくらし発見館〕〔2021年1月じ…

1959年11月の豊田市駅 - 挙母駅開業100年展

1959年11月の豊田市駅/豊田市近代の産業とくらし発見館蔵挙母は、矢作川の水運を利用し、しろと挙母神社を拠点に形成された城下町でした。挙母駅の開業により、矢作川にかわってえきがまちの「げんかんぐち」となっていきました。えきの開業とともに、挙母…

1955年ごろの上挙母駅 - 挙母駅開業100年展

1955年ごろの上挙母駅三河線のなかで、開業当時の駅舎がほのままつかわれとるゆいつのえきです。挙母線(上挙母~大樹寺11.0キロ/1973年3月よっか廃線)の分岐駅でした。上挙母駅開通まえの1920年8月に「該開通ノ美挙タルヲ祝スルノ式」が開催され、三河鉄…

1986年ごろの土橋駅 - 挙母駅開業100年展

1986年ごろの土橋駅土橋駅には6本の線路があり、このえきが貨物駅だった歴史をつたえております。磨砂、粘土、レンガ、かわら、だいこん、むぎ、鉄、、、と時代によってはこぶにもつはかわり、貨物とりあつかい廃止までおおくのひきこみ線が使用されました。…

2020年の竹村駅 - 挙母駅開業100年展

2020年の竹村駅竹村はもともと武郷(武士のひらいたむらの意味)といい、ほの武が竹になり、竹村にかわったといわれております。若林駅から竹村駅をとおり土橋駅のてまえまで、田園風景のなかを逢妻男川にそって電車ははしります。昭和なかごろまでこめ、む…

2020年の若林駅 - 挙母駅開業100年展

若林駅(2020年)現在は住宅地がひろがるえき周辺ですが、かつては農業がさかんな地域でした。こめやだいこんが出荷され、肥料やまめかすが入荷しました。挙母、知立にはさまれた農村地帯でしたが、1933年、えきまえに映画演劇興行場「若林座」ができ、人気…

1991年の三河八橋駅 - 挙母駅開業100年展

三河八橋駅名の由来となった「八橋」は知立市にありますが、所在地は豊田市花園町です。当初、八橋地内にえきがおかれる予定でしたが、利便線をこうりょして現在地になりました。八橋は『伊勢物語』のなかで「からころも」の和歌がよまれた地とつたわってお…

三河知立駅のゼロキロポスト - 挙母駅開業100年展

三河知立駅(旧知立駅)三河線創業当初の起点(ゼロキロポスト)はこのえきにあります。これは鉄道布設時、ここを起点に大浜まで鉄道を布設しようと計画したことによります。ほのあと、現三河線山線もここを起点として布設されました。(※ 写真は2020年) 〔…

1932年当時の豊田市域鉄道網 - 挙母駅開業100年展

豊田市域鉄道網(1932年当時)豊田市域に鉄道がとおったのは、当時の三河鉄道(いまの名古屋鉄道三河線)によって知立~土橋間が開通した1920年7月のことです。おんなじ1920年8月には上挙母、11月に挙母、1922年1月には越戸まで開通しました。ほのあと1927年…

1926年の挙母駅 - 挙母駅開業100年展

挙母駅(1926年)たてもんには磨砂(みがきずな)のたわらがつみあげられております。中央のホームおくには若宮八幡社のくすのきがみえます。 〔豊田市近代の産業とくらし発見館〕〔2021年1月じゅうよっか訪問〕