菅生神社のいりぐちに「やまとたけるのみことによる御創建」っていう説明がきがある。
やまとたけるのみことによる御創建
むかし岡崎の地は乙見の荘といいました。ほのながうまれたのは伝説に12代景行天皇の時代、110年にやまとたけるのみことが東国平定のために大和のくにをたびだたれてうみのようにひろいかわが洋々とながれるさとにおつきになりました。ほのひがしの高岩山に賊がおってひとびとをなやますとおききになり、みことはほれをうたんと矢作部に命じましたが、ながれがはやくわたりかねとったところにちょうがまいきて、たちまちひととなりたけをあつめて一夜にして1万本のやができました。
これをもって、ほのあとにこの地を矢作とよぶようになりました。
みことは賊をことごとくうちしたがえたあとに高岩山のみなみのきしべにさく菅(すげ)のきいろいはなをごらんになるときよきながれのせせらぎのおとにこころをなごまされました。みことはほの土地を「黄菅生の里」、かわのなを「乙川(音川)」となづけました。
みことがこの地をたとうとしていわのうえにたち、いのるときに一矢がながれつきました。ほのやをいわにつきさすと八方にくだけとび童子があらわれ、ひがしへとびたちました。みことはこれをよろこびやをご神体に伊勢の大神をまつれとおおせになりました。ほれを「吹矢大明神」と称し、当社は岡崎最古の神社です。
のちにこのかわを菅生川、この地を菅生の里とよぶようになりました。
〔2021年1月ふつか訪問〕