菅生神社のいりぐちに由緒がきがある。
菅生神社由緒 岡崎市康生町菅生川畔鎮座 御祭神 豊受姫命(菅生稲荷社) 建速須佐之男命(菅生天神宮) 御創建 人皇12代景行天皇の御代(西暦110年)日本武尊東国平定の為当地御通過の砌、高岩にて矢を造り給い一矢を小川に吹き流し給う。其の后矢を御霊代と仰ぎ伊勢大神を鎮祭し吹矢大明神と称するに葆り岡崎最古の神社なり。其の后西暦725年稲荷大明神を勧請し同殿に合祀する。 西暦1517年7月洪水の節、額田郡宮崎郷より天王宮御流着あり。直に当神社に合祀の上菅生天王宮と称す。西暦1868年菅生神社と改称する。 御祭神を欽仰すれば吹矢大明神を尊崇するに武門の神と仰ぎ、松平初代親氏公の祈願を初め松平一族の崇敬篤く、社殿の造営修復等行われた。松平清康公1523年御参篭ありて御神託を受けて岡崎城内に菅生稲荷大明神の御分霊を移し祀り開運稲荷大明神と号す。 西暦1566年大神君家康公25才厄除開運の御祈願、社殿造営せられる等、崇敬篤く古来当神社は岡崎城内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となる。 合殿「東照宮」(徳川家康公) 合殿「菅生天神社」(菅原道真公) 2016年12月吉日 菅生神社 |
〔2020年4月29日訪問〕
(さんこう)
- 菅生神社 - あきひこゆめてつどう|2020/04/29
- 岡崎は菅生川(すごうがわ)の北岸、岡崎城のひがしにある菅生神社(すごうじんじゃ)におまいりしてきた。前后の見聞とあわせて、以下に紹介する。
- 菅生川の北岸堤防道路をひがしにあるいて、菅生神社にとうちゃく。社殿は道路に面してみなみむき。
- とりいから参道をすすんで、拝殿におまいり。とびらがあいとって、おくに本殿までみえる。拝殿りょうわきにあっかいたれぬの。わたり殿へのいりぐちみぎがわに黄金のよろいかぶと。わたり殿へのいりぐちのりょうわきにみどりいろのたれぬの。わたり殿と本殿のなかになんぼんかのぼんぼりがともっとる。すてきな光景だ。
- 外観をかくにん。拝殿はかわらぶき、ひらいり。わたり殿は銅板ぶき。本殿はかわらぶき、ひらいり流造(ながれづくり)。
- 由緒がきをかくにん。ぜんぶが理解できるわけじゃないだけど、「西暦110年、やまとたけるのみことが東国平定にむかうとちゅう、この地をとおったときに敵とのたたかいにやをなんぼんかつくっただけど、ほのうちの1本をかわにながした。ほいで、このやをまつったのがこの神社で、岡崎最古の神社だ」っていうようなことがかいてある。ほー。ここは矢作川東岸になるだけど、やまとたけるのみことは矢作川西岸の矢作神社におまいりをしとる。おまいりをしただけじゃなくて、境内ではいだやで敵とたたかっとる。矢作神社と菅生神社、はなしがつながるな。
- ところで、境内のくすのき、めちゃめちゃでっかい。そらをおおいつくすってかんじだ。
- 菅生神社の御創建 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/01/02 〔ついか〕
- 菅生神社拝殿みぎてまえに「御創建」っていう題の説明がきがある。
- 文面は、菅生神社いりぐちにある由緒がきのなかの「御創建」の文面とおんなじ。
- 〔2021年1月ふつか訪問〕