2020年1月にじゅうよっか、姫小川の誓願寺を訪問。由緒がきのいしぶみをかくにん。
小松山誓願寺
宗派:浄土真宗大谷派
由緒:649年、孝徳天皇皇女綾姫さま当地に漂着され、さとびとにむかえられこの地にみやをきずきてすみたまう。姫は念持仏聖観音菩薩を蓮花寺に安置しまつりたまう。681年、薨(こう)ぜられるやその菩提のため蓮花寺をいとなみしひと、すなわち義峯大徳(693年逝去)にして誓願寺の開基とつたえられる。以来天台のてらとして代をかさねてきたが、22世了意上人が1468年、蓮如上人の弟子となり浄土真宗に転じて現在にいたる。また、応仁の乱世に内藤氏が三河にくだり、姫の地にも居館をかまえたとつたえられ、当寺を菩提寺として清長、重清はこの地にほうむられ、一族のはかとともにあんじょうし指定文化財になっておる。
39代義鳳はてらこやをひらき子弟の教育につくされたが、1871年の大浜騒動に真宗護持のため法難にあわれた。このたび境内墓地の造成と周辺整備の完成を記念し法灯をながくのちのよにつたえんがため、つつしんでこれをしるす。
合掌
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649年、孝徳天皇皇女綾姫が姫小川に漂着してすむ。綾姫がなくなって、ほの菩提をとむらったひとが誓願寺を創立したってつたえられる。1468年、天台宗から浄土真宗のてらにかわる。39代義鳳が1871年の大浜騒動で真宗護持のため法難にあう。