2019年6月26日、納屋橋にあそびにいって、堀川散策えまきを発見。はしのひがしづめのみなみがわにあった。説明がきをよんでみる。
堀川
名古屋のほぼまんなかを南北につらぬく堀川。1610年、名古屋城築城にあわせて福島正則により朝日橋から宮のわたしまでのおよそ6キロが開削され、2010年に開削400年をむかえました。熱田のみなとと城下町をむすぶ堀川は、物資の輸送などに活用されました。沿岸には、堀川の運が機能を利用する問屋やくらがたち、洲崎橋付近の水主町(かこまち)は、船奉行や水軍関係者(水主)のやしきがおおかったことをあらわしております。当時、護岸はすぼりのままで、はしは7か所にかけられて「堀川七橋」ってよばれました。堀川七橋のひとつであるこの納屋橋は、1981年、広小路どおりの拡張工事にともない、現在のはしにかけけられました。
この納屋橋付近は、もともと商人のまちで、ふるくからにぎわい、いろいろな文化もはなさいております。昭和なかごろにはやたいもたちならび、現在もしにせの名店が多数あります。散策により「あらたな名古屋」の発見があることでしょう。
※ 堀川七橋=五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋
※ 五条橋と伝馬橋は、清洲の五条川から移築したってつたえられ、五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には堀川の開削よりふるい「慶長七年壬寅六月吉日」ってきざまれております。現在とりつけられとる擬宝珠は複製品で、ほんもんは名古屋城に保管されております。
◇ ◇
なるほど、2019年6月11日に筆者も、堀川を宮宿の渡船場からきたにさかのぼって筋違橋まであるいただけど、福島正則が1610年に開削したのはきたは朝日橋までだっただ。ほいから、おもだったはしを堀川七橋ってよんどって、五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋がほれだっただ。あと、清洲の五条川から移築したのは五条橋だけじゃなくて、伝馬橋もほだった。
(さんこう)
- 納屋橋の説明がきと福島正則のもんどころ - 2019年6月26日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/07/12
- とつぜんの路線バスのたび - 2019年7月ここのか - あきひこゆめてつどう|2019/07/09
- 岩井橋で堀川をにしにわたる。名古屋高速をくぐりながら、水主町(かこまち)交差点を直進。水主町バス停に停車。ひとりおりて、3人のってきて、乗客は14人に。水主(かこ)ってのは船員のことだげなけど、このへんにようけすんどったのかな。
- 堀川をあるく - あきひこゆめてつどう|2019/06/20
- 2019年6月11日、堀川(ほりかわ)を、宮宿から名古屋城まであるいてきた。まっすぐきたにすすんで8.2キロの行程になる。
- 宮宿の渡船場 > 1.大瀬子橋 > 2.白鳥橋 > 3.御陵橋 > 4.熱田記念橋 > 5.旗屋橋 > 6.瓶屋橋 > 7.住吉橋 > 8.尾頭橋 > 9.鉄橋 > 10.古渡橋 > 11.山王橋 > 12.松重閘門と松重橋 > 13.日置橋 > 14.岩井橋 > 15.洲崎橋 > 16.新洲崎橋 > 17.天王崎橋 > 18.納屋橋とほの界隈 > 19.錦橋 > 20.伝馬橋 > 21.桜橋 > 22.中橋 > 23.五条橋 > 24.景雲橋 > 25.小塩橋 > 26.幅下橋 > 27.朝日橋 > 28.大幸橋 > 29.鷹匠橋 > 30.筋違橋