2019年8月31日、岡崎城の篭田総門のあとをみにいったついでに、岡崎城下27まがりのみちしるべのうち「ほ」と「へ」を発見した。
篭田総門のあとのある岡崎信用金庫資料館のとこから総門どおりをひがしにいったとこで、まずは「へ」のみちしるべを発見。
「へ」のみちしるべからきたにいって伝馬どおりにでたとこで、「ほ」のみちしるべを発見。
(さんこう)
2019年8月31日、篭田公園のきたがわに篭田総門かど常夜灯があるのをかくにん。
篭田総門かど常夜灯由来記
1590年、徳川家康の関東移封(いほう)により、田中吉政が岡崎城整備をはかる。1601年、伝馬の制定により東海道の往来もはげしくしだいに殷賑(いんしん)をきわめるようになり、1670年、篭田総門がもうけられる。ときは徳川泰平のよにうつり、まちなみはさらに整備され、町内たびびとのため要所に常夜灯が建立された。
この常夜灯は1798年、岡崎城下3番めのもんとして石工、七左衛門作により篭田総門付近に建立され町内とたびびと往来安全のともしびとして、市井のひとびとに愛されあたたかく守護されつづけてきたもんである。
大正時代に旧市役所(いまの電報電話局)きたがわに移転し、さいわいにも1945年7月はつかみ名の岡崎くうしゅうの災禍をまぬがれ、1950年、戦災復興事業により整備された篭田公園の一角に再移転、さらに1981年4月、篭田公園地下駐車場の新設によりよそおいもあらたにこの地に再建された。城下町交通の遺物としてここに后世のため、ほの経緯をしるすもんである。
1981年11月吉日
篭田町有志一同
◇ ◇
なるほど、こんなでっかい常夜灯が街路灯のやくめをはたしとっただ。もともと篭田総門のとこにあったもんが、3回の移転をへて、いま篭田公園のきたがわにあるだ。
(さんこう)
2019年8月31日。岡崎城の篭田総門のあとをみたかえり、東岡崎は1番のりばに停車中の犬山いきふつうにのる。車両は、5704編成4両の5700系SR車。
となりの2番のりばに東岡崎14時52分の新鵜沼いき快速特急がはいってきて、さきにでていく。車両はパノラマスーパー。これをみおくって、14時54分、わが犬山いきふつうもしゅっぱつ。西三河平野をにしにすすんで、15時4分、しんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。下車。2番のりばに移動。しんあんじょう15時7分の西尾いきふつうにのる。車両は、6807編成2両の6800系鉄仮面。あんじょう平野をみなみにすすんで、みなみあんじょうで佐屋いき急行といきちがい。15時15分、ふるいにとうちゃく。下車。うちにかえる。
(さんこう)
名古屋10時51分の藤が丘いきにのる。
ひがしにすすんで、11時17分、本郷にとうちゃく。下車。
のってきた電車をみおくって、かいさつをでる。
かえりの電車。本郷17時25分の高畑いきにのる。
にしにすすんで、17時52分、名古屋にとうちゃく。下車。かいさつをでて、名鉄にのりかえ。
(さんこう)
2019年8月26日。横山町(よこやまちょう)は県道岡崎刈谷線ぞいにあるクルマやさんでクルマを車検にだして、炎天のなか、にしにあるいてエディオンあんじょう店にとうちゃく。みせのきたがわにある下菅池西(しもすがいけにし)バス停からあんくるバスにのるだけど、バスがくるまでにちょこっと時間があって、みせんなかをみてまわる。さいしょはひやかしのつもりだっただけど、まえからほしかったコンパクトデジタルカメラ用の三脚を発見して、かいもとめる。1,501円。
かいもんができたとこで、ちょうどバスがくる時間。いや、まってもまってもこんぞ。ひょとして早発しちゃったのかってなあたまをよぎったとこで、やっと下菅池西バス停11時5分の高棚(たかたな)いきバスがやってきて、のる。じつに12分のおくれだ。運転士さんもあわただしくバスをしゅっぱつさせる。乗客はおれのほか、おばあさんがふたり。
にしにすすんで、みかわあんじょうは新幹線駅きたがわのロータリーにはいっていって、みぎまわりにぐるーってまわって、またはいってきたとこからでちゃいそうになるとこにバス停があって、停車。料金100円をはらって下車。バス停のなまえはみかわあんじょうえき中央口バス停で、定刻の11時12分から10分おくれのとうちゃく。運転士さんはおくれを2分回復しただ。のってきたバスをみおくって、新幹線駅のほうにむかう。
(さんこう)