渡刈駅あと説明がき

渡刈駅あとのホームのうえに説明がきがある。

2021.1.18 (19-1) 渡刈駅あと - 説明がき 2200-1100

この緑道は、旧名鉄挙母線あとちを利用した緑道です

  • 名鉄挙母(ころもせん)は、名鉄三河線の上挙母駅(うわごろもえき)から分岐し、岡崎市鴨田町(かもだちょう)地内の大樹寺(だいじゅうじ)をむすぶ全長11キロ鉄道路線でした。
  • 路線のはじまりは1924年岡崎電気軌道(前身は岡崎馬車鉄道)はつの郊外線(大樹寺駅~門立駅(もだちえき)間6キロ)としてはじまり、ほのあと三河鉄道と合併して同社の岡崎線となり、1929年に全線が開通しました。
  • 1941年には名鉄と合併がなされ、1948年に路線名が挙母線と改称されました。
  • 全線で11キロというみじかい路線ではありましたが、豊田市岡崎市をむすぶゆいつの鉄道として地域開発に貢献し、通勤客輸送をになっておりましたが、自家用車の大衆化や旧国鉄岡多線(おかたせん/いまの愛知環状鉄道)の建設も決定されたことにより、1973年3月よっかかぎりで廃線となりました。
  • この付近には渡刈駅(とがりえき)のなごりがあり、旧名鉄挙母線が想像できるような整備をおこないました。
  • この事業は、地域整備関連総合整備事業(高速道路関連)渡刈地区として、愛知県(豊田加茂農林水産事務所)が整備しました。

〔管理者=豊田市公園課/れんらくさき=0565-31-1212〕

2021.1.18 (20) 渡刈駅あと - 説明がき地図 1500-1650

2021.1.18 (19) 渡刈駅あと - 説明がき 2000-1470

〔2021年1月18日訪問〕