三河鉄道株式会社『第35回報告』
1930年個人蔵
- 三河鉄道は、きたは西中金から、みなみは三河鳥羽まで開通しましたが、乗客は期待ほど増加しませんでした。
- ほのようななか、不況がかさなりました。深刻な経済状況について、つぎのようにしるされております。
- 「顧ルニ本期間ハ引続ク財界不振ニ加フルニ金解禁実施ノタメ不況愈々(いよいよ)深刻化シ客貨ノ移動ヲ阻止シタルコト夥シク全力ヲ同方面吸収ニ傾注シタルモ其甲斐ナク遂ニ前段ノ不成績ヲ見ルニ至リタルハ甚ダ遺憾トスル所ナリ」
〔豊田市近代の産業とくらし発見館〕
〔2021年1月じゅうよっか訪問〕