1936年の一宮市の鳥瞰図

2019年7月とおか、尾西歴史民俗資料館にいって、1936年の一宮市の鳥瞰図をみた。

2019.7.10 (7) 尾西歴史民俗資料館 - 一宮市鳥瞰図 2000-940

ひとつが一宮市鳥瞰図。いまは一宮市の一部になった、起を中心とする旧尾西市の区域は図のひだりてまえにある。新一宮のえきからずーっとひだりに起までのびる名鉄起線がくっきりみえる。路面電車の起線が道路のまんなかをはしっとる。とちゅうのえきとして、まんなかに三条のえきがみえる。沿線にはおりもんこうばがいっぱい。じもとのひとなら、いずれかのこうばにおもいいれもあったりして、とってもなつかしい図だらあ。いま三岸節子記念美術館になっとる三岸節子の生家のおりもんこうばも、いずれかのひとつか。起工業学校はいまも起工業高校としてこの位置にある。

2019.7.10 (8) 「産業と観光の一宮市とほの付近」(ひだり) 1890-1020
2019.7.10 (9) 「産業と観光の一宮市とほの付近」(なか) 2000-1060
2019.7.10 (10) 「産業と観光の一宮市とほの付近」(みぎ) 1930-1030

まあひとつがまっとおおきな図で、吉田初三郎「産業と観光の一宮市とほの付近」(部分)。一宮市鳥瞰図とほとんどおんなじだけど、微妙にちがう。ひだりのほうは、起線のほか、1935年に開通した名古屋本線もある。名古屋本線のてまえには尾西線があって、いまの終点の玉ノ井よりもむこうに木曽川橋までのびとる。尾西線木曽川をわたって名岐間の幹線鉄道になる可能性だってあっただ。

まんなかの部分をみると、東一宮からむこう、岩倉につながる鉄道がある。いまはなき名鉄岩倉支線だ。名古屋本線名古屋-一宮間よりふるい布設で、当初は一宮線をなのっとった。

みぎの部分をみると、新一宮から津島、弥富にかけて尾西線がのびて、名古屋と津島をむすぶ津島線もみえる。